心に余裕

私は実現する可能性が高くても皮算用はしない主義です。

皮算用をすると実現しなかった時の落胆が大きいからです。

時々「仕事に対して自分に厳しいところがありますね」と同僚や知人に言われる事がある。

実現する可能性が低くなったものに関しては、すぐさま切り替えて、取り組んできた仕事の方向性ついて検証・反省をして又検討をして次に進む。

決して人よりも能力があるとは思っていないので、少なくとも人よりも努力をしないと同じ土俵で勝負はできないと思っているから尚更、反省をする。

そして自分の仕事力にあまり期待をしすぎてはいけないと思っている。

しかし、この一年で少し考えが変わってきた。

たまには皮算用をして、その時間を楽しむ余裕があっても良いかなと思うようになった。

心に余裕がある時の方が当然良い考えが浮かぶ。

実現しなくとも楽しい気分に少し浸るのも良いのではないか。

何かのきっかけで、その楽しい気分の時だからこそ名案が生まれるかも?知れない。

無駄な時間になるのかも知れないが、心に余裕を持たないと良い考えは浮かんでこないし、考える事さえもできない。

決して皮算用をする事を推奨している訳ではない。

皮算用は方法の一つで、心に余裕を持つことが必要だとつくづく感じる一年だった。

私の場合はあまりにも余裕を持ちすぎて、いざという時に焦る事がありそうなので注意が必要ですがね(笑)

この事を糧にして来年は成長できるかな・・・。

いつも読んで下さっている皆様ありがとうございます。

良いお年をお迎えください。

これに決めて良かった

23年程前の事

下の娘が小学校入学を期に妻がパートにでる事にした。

職場はというと、自宅から5分程のコンビニです。

家から近い事と、娘が学校から帰ってくる頃には仕事を終えらるシフトで働く事が可能だったので、このパ-トに決めた。

しかし実際に働くと、シフトに入っている学生が急に出勤できなくなったり、商品の補充・棚替え・クレ-ムなんかが発生すると、シフト通りにならずに予定通り家へ帰れない事がでてきた。

その話しを聞いた私は娘に

「学校から帰ってきた頃にお父さん電話するからね」

と話した。

翌日、娘が学校から帰っているであろう時間に携帯電話から家に電話をした。

しかし電話にでない。

15分・30分・45分・1時間と電話してもでない。
(もっと電話したかもしれません(笑))

少し不安になりながら又電話をした。

すると

「はい〇〇です」

電話にでたのは妻だった。

少し前に帰ってきたらしい。

妻に何度か電話をしたのだが、娘が電話にでないから心配していた事を説明すると

知らない人からの電話だと嫌だから電話にでなかったという事だった。

「そういう事か~防犯対策としても娘の行動は正解だな、いくら田舎町でも・・・ 」と思いながら電話を切った。

電話を切ってから少し考えた私は、会社帰りに電気店へ行き『ナンバ-ディスプレイ』の電話機を購入した。

丁度この頃に『ナンバ-ディスプレイ』サービスが開始したのです。

今は普通の事ですが、昔は電話にでるまで誰から電話がきたかなんて判らなかったんですよね。

今は電話番号が登録された相手なら名前がでますから直ぐに判る、便利な世の中です。

当時としては画期的なサ-ビスの開始でした。

私は購入した電話機を持って急いで帰宅。

妻と娘に説明しながら電話機を設置。

設置した電話機の少し上の壁に、私の携帯電話番号を書いた紙を貼り

「この電話番号はお父さんだから電話にでるんだよ」

と娘に言うと、はにかむように笑ってうなずいた。

翌日の午後、私は自宅へ電話をした。

一回の呼び出し音で直ぐに娘がでた

「お父さん!?」

と弾んだ声の娘。

続けて今日の学校での出来事を話し始めた。

私は頷きながら話が終わるまで聞き続けた後

「家に帰ったらもう一度教えてね、もうすぐお母さんが帰ってくるから留守番お願いね」

と言って電話を切った。

この時の電話は娘以上に私が楽しかったのかもしれません。

しかし親として反省をしました。

最初に電話をした時には「何で電話にでない?」と

不安とイライラがありましたが、娘の気持ちを理解していなかった。

娘は電話のベルの音が怖かったんでしょう。

娘の気持ちを理解していない親でした。

子育ては大人目線だけではいけない、子供目線で考えなくてはならない。

子供に教わりながら子育てをしていましたね・・・。


無駄という時間の居心地のよさ

かれこれ40数年前の事だと思います。

我が家に電話がつきました。

私が小学2・3年生の頃です。

当時の電話は黒い電話なんですが、ダイヤルはついておらず電話機の横にハンドルがついているんです。

手動の鉛筆削りのハンドルのようなものです。

「鉛筆削りなんて見た事がない!」なんて人も居ますよね。

電話をかける時にはハンドルをグルグル回すと電話交換手(女性)に繋がるんです。

そうすると

「交換台です(多分こんな感じで言っていたと思います)何番にお繋ぎしますか?」

と聞いてくるんです。

かけた方は

「〇〇番お願いします」

と言います。

そうすると、交換手が相手の回線に線を差し込む(確か)と繋がるんです。

繋がると

「どうぞお話し下さい」

と言われたような記憶があります。

その後、相手との会話が終了して電話を切ります。

そうすると暫くして電話が鳴ります。

電話に出ると交換手から

「只今の通話〇〇円です」

と通話料金の連絡がきます。

これが一連の流れです。

もしかしたら、私が住んでいた田舎町だけの事ですかね(;^_^A

携帯電話が主流の今、信じられない話しですよね。

小学生の私は友達に電話する時に

「〇〇さんですが?〇〇(私)ですけど〇〇君はいますか?」

と言うだけでも緊張するのに、その前に

「〇〇番お願いします」

と言わなくてはいけないんです、それも知らない交換手の女性に。

綺麗な声なんです、恥ずかしかったですね~(笑)

しかし子供の私にとっては人と話す良い訓練になったのかも知れません。

因みにこの電話は1年位の使用で、ダイヤル式の黒電話に変わりました。

これでも若い方には「何だそれは!?」ですよね(笑)

それから10年程経ってから妻と付き合い始めて電話をする時も緊張しましたね~。

「〇〇さんのお宅ですか?〇〇ですけども〇〇さんはいらっしゃいますか?」

なんて言わなくてはならないんですから。

今は、こんな事言わなくても良いですよね。

「もしもし 俺!私!」でOKですよね。

話したい相手に直ぐに電話をかけられる。

何時でも、何処に居ても。

便利な世の中ですね。

しかし、便利というメリットがあればデメリットもあります。

固定電話だと『居留守』なんていうのが使えたのですが、携帯電話ではどうでしょう。

何回かの着信は、様々な事を言って『ごまかす』事はできるでしょうが最終的には電話にでるか、折り返し電話をする事になります。

これって話したくない相手だと『ストレス』です。

恋人同士で喧嘩なんかしていて『今、話したくない』なんて思っている時は着信がある事だけで『ストレス』を感じるのではないでしょうか。

当然ですが昔も『ストレス』はありましたが、便利になった現代の方が『ストレス』を感じやすいような気がします。

恋人同士の喧嘩の場合は、冷却時間があった方が良い場合もあるかも? しれません・・・。

今は昔と比べると、あらゆる事、あらゆる物が便利になっています。

しかしその便利な事がストレスに変わっている事があるような気がします。

便利な事を上手く使いながら、多少時間をかけても良いような事は焦らず『じっくり』やるのも良いかなと最近思っています。

無駄に思える時間を費やしてもでも。

そんな無駄な時間が後から考えると生きてくる事もあるような気がします・・・。

『かかりつけ医』との出会い

妻がインフルエンザ予防接種の予約を、『かかりつけ医』にしたとの事。

予約すると看護師さんが

「旦那さんは予約しなくて良いの?」

と聞いてくれたらしい。

私も定期的に通院しているので(通院理由は別な機会に記事にしたいと思います)私が旦那だと知っているんです。
ばれてました(;^_^A

でもありがたい事です。

妻は「確認しておきます」と言ってきたという事で、私が仕事から帰ると

「私、インフルエンザ予防接種予約したら旦那さんはどうする?って聞かれたけれど
貴方、予防接種受けても大丈夫だった?」

と聞いてきた。

妻の質問の「大丈夫だった?」の意味は

私は子供の頃から一度もインフルエンザ予防接種を受けた事がないんです。

正確にいうと受けられない体質と言われていたんです。

小学生の頃、インフルエンザ予防接種を受ける前には問診票に記入をして提出しました。

子供の頃、卵かけご飯や乳製品を食べると蕁麻疹がでていた私。

大好きだったので、それでもめげずに食べてましたけどね。

その事を問診票に記入して提出すると

問診で『アレルギ-体質』の為、接種不可となったんです。

ただ小学校高学年頃からは卵を食べて蕁麻疹がでた事はないのですが、この事を看護師さんに話してみてと妻に頼むと、やはり接種は控えた方が良いとの回答だった。

調べてみると、注射部位が赤みを帯びたり、熱をもったり、腫れたり等があると記載してあった。

まれに、アナフィラキシ-などの副反応があらわれる事があるそうです。

私のような体質の方は要注意ですよ。

因みにですが、56年間インフルエンザにかかった事はありません。

ただ、年々体力は低下しているので気を付けなくては・・・。

今の世の中、色々なアレルギ-があるようですので自分の体をきちんと理解しておく事が必要ですね。

歳を重ねていくうちに体質が変化する事もあるようですので、体に異変を感じたら診察を受ける事をお勧め致します。

『かかりつけ医』があると相談もしやすいですし、変化に気づいてくれやすい事もあるのではないですかね。

私は以前、総合病院なら多くの診療科があるし、医療器具も揃っているから受診するのなら『総合病院』が一番良いと思い通院していましたが

ある日、私の担当医から

「この病院を退職する事になりまして、この診療科の医師が不在になります。あなたの病状を手紙に書きますので近くの病院を探して頂けませんでしょうか?」

と言われた。

『医師不足』メディアを通して知っていた事ではありましたが、現実を目の当たりのすると少し驚きでした。

そう言われた私は、それなら自宅から近い病院にしようと思い地元の病院に変えました。

病院を変えてから3年程経ちますが、『かかりつけ医』の良い所ありますね~。

①待ち時間が少ない

②なんでも相談できる(医師にもよりますけどね(笑))
・医師は大変かもしれませんね「それは私に言われても・・・」なんて事もあるかも

③看護師さん(私の病院は女性のみ)もある程度情報を記憶していてくれる
「旦那さんは予約しなくて良いの?」もその一つですかね。

④街で看護師さんに偶然会ったりすると調子等聞いてくれたり、アドバイスをくれたりする。
私の住んでいるのは小さな街なので全てには当てはまるかどうか・・・(;^_^A

⑤専門医療機関で診察が必要な時には症状を細かく手紙(紹介状)に書いて専門医療機関を紹介してくれるのでその後の対応が早い。

細かい事を探せばまだ他にもあるのですが『かかりつけ医』の良い所を一言で表すと、医師・看護師が患者に近い距離で接してくれる事ではないでしょうか。

人間には自然治癒力があります。

『かかりつけ医』へ行く事で『親近感』『信頼感』を持っている患者は、まずは自然治癒力が上がり病状回復の一歩になるのではないでしょうか。

夢の中で

29年前に亡くなった岩手県に住んでいた母方の祖父が夢にでてきた。

今は大人になって祖父なんて表現していますが、私の爺ちゃんです(笑)

32年前、私が結婚する時に爺ちゃんに招待状を送ったのだが

差出人が発起人代表名で届いた事で

「私からの招待状ではないので行かない」とゴネタらしい。

息子・娘(私の叔父・叔母)達は、説明をして理解をさせるのも面倒なので出席させるのをやめたらしい。

しかし、爺ちゃんの本音は出席したかった筈だ。

私が子供の頃、お盆に遊びに行くと朝から焼酎を飲んでいるアル中のどうしようもない爺ちゃんだった。

しかし、孫の事を可愛がってくれた。

魚釣りや山菜採りに連れて行ってくれたり、爺ちゃんが飼育している馬に乗せてもらった。

そんな楽しい日々はあっという間に過ぎてしまい、やがて帰る日がやってきた。

私は当然、帰るのが嫌で寂しい気持ちだったのだが爺ちゃんはもっと寂しかったようだ。

帰る時には「又来いよ」とだけ言って、外で見送ってくれる事はなかった。

後で叔父が電話で教えてくれたのだが

爺ちゃんは私達が帰った後、寂しそうに背中を丸めて何も言わずに黙って焼酎を飲んでいたそうだ。

多分、見送りに出ると泣いてしまうから外に出なかったのだろう。

爺ちゃんが入院をして「もう長くない」と連絡が入ったのは、私が結婚して4年目の春の事で、もうすぐ3歳になる息子と、10月に出産予定の娘が妻のお腹の中にいた。

私はアル中の爺ちゃんが大好きだった。

息子を連れて見舞いに行く事ができなかったので、爺ちゃんにとって「初ひ孫」である息子の写真を持ってフェリ-で岩手の病院へ向かった。

病室へ行くと爺ちゃんは髭面でベットに横になっていた。

私が顔を出すと、辛い筈なのに笑顔で迎えてくれた。

私は直ぐに

「爺ちゃん俺の息子だよ」

と写真を見せると満面の笑みで写真を見つめていた。

私は複雑な気持で爺ちゃんを見ていた。

それから2週間程で爺ちゃんは亡くなった。

夢の中の爺ちゃんは笑っているだけで何も言わなかった。

その顔は、息子の写真を見せた時の笑顔と同じだったような気がする。

コロナ禍の中で「感染防止対策をして元気でやれよ」「ひ孫(息子)は元気か?」とでも言いたかったのだろうか。

私は、知らず知らずのうちに爺ちゃんの事を考えていたのだろうか・・・。