チョロQは忙しい

NISSAN あ、安部礼司~BEYOND THE AVERAGE~

というラジオ(FM)番組

というかラジオドラマが日曜日 17:00~17:55に放送されている。

毎週聴いている訳ではないのですが、この番組のリスナ-になって10年は経つような気がする。

昨日の放送(ドラマ)で

「仕事(企画)は鮮度とスピ-ドだ」

と言っていた。

これを聴きながら

「あ~駄目だな俺は~ ブログを書こうと思った時、直ぐに書かずに暫く経ってから書いたりしているな~」

まあ仕事ではないからな~。

と思いながら車を運転していた。

という事で少し遡って9月23日(木)と9月25日(土)の事です。

23日(木)に苫小牧西港フェリ-タ-ミナルへ行ってきました。

何をしに行ったかというと単に海と船を見に行ったのです。

午後から行ったのですが、到着後直ぐに展望デッキへ行き外を眺めていました。

少しすると妻が

「チョロQ走っているね~」

と言いながら笑っています。

と言うのも、20数年前の事になりますが子供達が小学生の頃に私の母親の実家である岩手県へ行く為にフェリ-ターミナルへ来た時の事です。

子供達がフェリ-ターミナルの建物内から外を楽しそうに眺めていると

「あっ!チョロQ走ってる!!」

と喜んでいた時の事を思い出しながら妻は言ったのです。

チョロQと言っていたのは、トレ-ラ-(トラクタ-)ヘッドの事なんです。

                  チョロQです(笑)

トレ-ラ-ヘッドはシャ-シを連結させて走行する為のものですが、フェリ-ターミナル構内では連結させたシャ-シを船内で切り離す、又はその逆で船内で連結させたシャ-シを船外の置き場に切り離すという作業をしているのです。

             シャ-シが並んでいます

そうすると、シャ-シを連結していない時はヘッド(業界では頭とも呼びます)だけで走行しているので子供達にはチョロQのよう見えたようです。

因みにこの作業は 連結→走行→切り離し→走行 の繰り返しで忙しいですし危険も伴いますのでドライバ-は神経を使います。

そんな大変な仕事をしているトレ-ラ-ヘッドをチョロQと呼ぶことは大変失礼な事かも知れませんがお許し下さい。

親しみを込めてということで・・・。

その後暫く眺めていると 「んっ!?」

自転車に乗って来た人がいる。

           バイクの中に自転車が・・・

珍しいことではないよな

でもあの自転車、沢山の荷物がくくりつけてある。

重そうだな~。

ノーマルな自転車に見えるけれど、何処から来たのかな?

               乗船するようです 

見ていると、なんか癒されるな~ 気を付けて行って下さいね。

とまあこんあ感じで眺めていたのですが、出港までは2時間以上ある。

妻が

「夜に出港するフェリ-が観たいな~」

と呟いている。

今日はこれ以上の滞在は難しい。

「土曜日の夜来るか?」

と聞くと

「良いの?」

とまるで子供のような笑顔だったので土曜日に再び訪れる事にした。

25日(土)20時30分過ぎに到着。

    シルバ-プリンセス停泊中 21:15出港です

人・車両共に乗船はほぼ終わっていた。

私達は、まるで誰かの見送りにでも来たかのように乗船口通路を歩き八戸行きの乗船口付近で21時15分出港の船を見送った。

         シルバ-プリンセスを見送る二人
                     出港

こんなのも良いもんです・・・。

消えた おしぼり

2021年9月18日の今日は

日清カップヌードルが発売されて50年目という事だ。

そんな事を思いながらコンビニへ入ったものだから、カップヌードルを買ってしまった。

この事を知ったのは、黒木 瞳さんがパーソナリティ-をされている「ENEOSプレゼント あさナビ」というラジオ番組で今週は日清食品の社長が出演されていた。

この番組で、9月18日で発売されてから50年を迎えると何度も言っていたからだ。

発売されたのは

1971年(昭和46年9月18日)

私が小学2年生の時だ。

懐かしい。

私の記憶だと、当時私の街には今のように24時間営業のコンビニエンスストアなどはなく

〇〇商店と農協ストア(Aコープ)しかなかった。

当然24時間営業ではなく19時か20時になると店は閉まってしまう。

そんな時代に発売されたカップヌードルだが、当時としては画期的な販売方法をとっていたと思う。

カップヌードルの自動販売機を商店の横に設置したのだ。

今は珍しくもない事だが当時としては斬新だったのではないだろうか。

更に私が懐かしく思うのは

この自動販売機、四角い郵便ポストのような形なのだが(色は違いますよ)

自動販売機前面の下には小窓があり、プラスチック製のフォークが入っていた。

それも自由に取れる・何本でも取れる。

そんなものだからフォークは直ぐになくなっていた。

こんな事を想いうかべながら商品を手に取りレジへ向かいコーヒ-も買った。

店員さんがレジ袋の有無を聞いてきたのでお断りをすると

「かしこまりました」

と言った後、おしぼりをつけてくれた。

店を出た私は車に乗り込み、コーヒ-を飲んで少し寛いでいた。

暫くして

「おしぼり貰ったよな~」

と車内を見回した。

しかし無い。

そんな筈はないと思い、シ-トの下を探すが無い。

一度は諦めるも、車の中に置いたのだから絶対に何処かにあると思い再度探す。

しかし何処にも無い。

『狐につままれた気分』とは、まさにこういう事だよな。

と諦めて車を走らせ会社へ向かった。

会社に到着してポケットに手を入れると

「あれ!?」

どうやら『狐につままれた気分』なのは、おしぼりのほうだったようだ。

                  あった!!

「アンタさっきさ~ レジ袋断ってコ-ヒ-とカップヌ-ドルを両手に持つ時に落とすかも知れないと思って、ポケットに入れたじゃん!ポケットの中でいつ思い出してくれるのかな~って ズ-ッと待ってたわ!!」

手に取った おしぼりからこう言われたような気がした・・・(笑)

ぬり絵注意報

昨日の朝、テレビで天気予報を観ていた時の事。

二世帯で住んでいる母親が一緒にテレビを観ていたのですが

母親が

「今週の気温はあまり上がらず最低気温は12℃なんだ~」

「ぬり絵 に注意して下さいだって!」

と言っている。

洗面所にいた私は「何の事だ?」と思いながら顔を洗っていると

妻が笑いながら

「お母さん 寝冷え だよ」

と言っている。

「アハハ!そうか~ 寒くなってきたから ぬり絵をするのも大変なんだ~と思ってさ ぬり絵をするような子供が居ないから関係ないな~と思っていたんだよね~」

と母親は照れ笑いをしながら言っている。

私は顔を洗いながら吹き出してしまった。

歯磨きをしていなくて良かった。

ぬり絵をするような子供は居ないまで考える事ができたのに

寒いと、ぬり絵をする事が大変だという事は疑問を覚えなかったようだ。

「え」 しか合ってないけど。

「こんな楽しい気分で出勤するのも良いか」と思った朝だった(笑)

決断

仕事中にラ-メン屋の前を通ったら

「あ~ラーメン食いたいな~」

と車の中で一人呟いていた。

そんな事を思っていたら自分が中学生の頃を思い出した。

もうかなり昔の事で40年と少し前になる。

何故か最近、昔の事を思い出す。

ある晴天の日曜日。

「旨いラーメンが食べたい!」

今も昔も同じ事を思っている(笑)

私は田舎町に住んでいて、定食屋が2軒程あったがラーメンが旨いとは聞いた事がなかった。

もっとも旨いと言われるラーメン屋は今のように多くはなかった。

そんな時代だったが「札幌へ行けば旨いラーメン屋がある!」と信じていた私は自転車で札幌へ行く事を決断した。

朝刊の新聞配達をしていた私は親に頼まなくてもお金は持っていた。

今は何かあれば妻に「〇〇買うからお金頂戴」と頼まなくてはいけない。

頼むと「いくら?」と当たりですが聞かれる。

当時はそんな事をしなくても良かった。

今よりも自由になるお金を持っていた(笑)

決して今に不満を持っている訳ではない。

話しのネタです(笑)

話しは戻るが直ぐに準備にとりかかった。

何故か鮮明に覚えているのだが

現金は3,000円 プ-マのジャ-ジ上下を着て野球帽を被りタオルを一枚を首にかけて颯爽とスタ-トした?多分。

6月頃だったような記憶がある。

自転車の仕様は松山千春さんの『MY自転車』の歌詞にもある5段変速。

当時はこれが最新式の自転車だった。

今は10段?20段? 一杯変速がついているようですが・・・

これに乗り約30kmの道程を自転車を漕いで札幌へ向かったのですが、何処のラーメン屋へ行くかを決めて出発した訳ではないので、いざ札幌の街中に入ると、どの店にしようか迷ってしまった。

そんな中、あるラーメン屋の前を通ると感じの良さそうな店主と思われる男性を見た。

「よし!ここにしよう」と決め、自転車を停めて店に入った。

店に入ると「いらっしゃ!」と私の直感通りの声。

感じが良かった。

中学生だった私の緊張をほぐしてくれた。

その後、直ぐに味噌ラーメンを注文した。

少し経ってラーメンが運ばれてきた。

ス-プを啜り麺を食べた。

旨い!!やっぱり札幌のラーメンは違う!来て良かった!と思った。

多分だが自転車で一人札幌のラーメン屋へ行き、自分のお金で食べたという事が旨さを引き立てたのだろうと思う。

でも旨かった。

これだけの記憶があるにもかかわらず店の名前は全く憶えていない・・・。

贅沢な一人旅

バス停前に小学生と思われる少年が立っていた。

何となく気になったので少し眺めていると斜めがけのショルダ-バックからスマ-トフォンを取り出して話し出した。

大きな声で話し出した少年の声を聞いているとお母さんのようだ

「お母さん 今からバスに乗るからバス停に迎えにきて」

と言って電話を切った。

初めての一人旅なのだろうか?

不安もあるが、きっと楽しいのだろうなと思う反面

無事に帰りなさいよと呟いてしまった。

そんな少年を眺めながら思い出した事があった。

私は小学4年生頃に鼻の調子が悪くなり耳鼻科へ通院しなくてはならなくなった。

バスで30分程のところに評判の良い耳鼻科があったのでそこへ行くことにした。

母親と耳鼻科で診てもらうと暫くは週一回通院するようにと医師の指示があった。

母親は仕事をしていたのだが週一回仕事を休む事が難しかった。

そこで私に言ってきた

「一人で病院へ行ける?」

バスや鉄道に乗る事が好きだった私は即座に

「うん 大丈夫 行ける!」

と返事をした。

嬉しかった。

次の週から私の楽しい一人旅が始まった。

バス代がいくらだったかは憶えていないが、母親はバス代の他に小遣いとして500円をくれた。

このお金は好きに使って良いと言われていたので、バスの一人旅+500円で嬉しさは倍増していた。

当時のバスは車掌さんからワンマンになったばかりの頃だった。

まずバスに乗る時に整理券を取る事が楽しかった。

座席に座るとバスが走り出す。

バスに乗る度に同じ景色の筈なのに何故か見ているだけで楽しい。

こんな楽しい気分でバスに乗っていると目的地が近づいてくる。

私は終点で降りるのだが

「次は終点〇〇〇です」

とアナウンスがあると『次降ります』のボタンを一早く押す。

これが又楽しい。

終点だから押さなくても良いのだが押さずにはいられなかった。

こんな感じで病院へ行き、診察・鼻の吸入をして終了。

後は帰るだけなのだが、この後私には最大のお楽しみがあった。

病院が終わってからバスの時間までは1時間位あったのだが、その時間を利用して食堂に行くのだ。

店の名前は『みどりや食堂』

この食堂へ行き、ラーメンかカレ-ライスを食べる。

時には、ラーメンとカレ-ライスの両方を食べる事もあった。

記憶では

ラーメン(醤油)・・・250円位

カレ-ライス・・・200円位

だったような気がする。

いずれにしても500円あれば両方食べられた。

これが最高に旨かった。

最初に母親と病院へ行った時に、この店に入りラーメンを食べた。

食べながら母親に500円の小遣いでこの店に来ても良いか確認した。

母親は

「好きなように使って良いと言ったからね 良いよ」

と笑いながら言った。

その後店の人に

「この子が一人で食べにくると思いますから宜しくお願いします。お金は持たせますから。」

というような事を言ったような気がする。

当時の私にとっては外食は最高の贅沢だった。

それも一人での外食だ。

何回か通ううちに店の人が私の事を常連扱いしてくれて

「今日はラーメン?カレ-ライス?」

なんて直ぐに聞いてくれるようになった。

そして、どちらを頼んでも大盛にしてくれた。

値段はそのままで。

この後バスに乗って帰宅するのですが、晩御飯は普通に食べてました。

運動好きな私はどれだけ食べても全く太る事はなかったですね~。

今では食べた分だけしっかり体重が増えていきます(;^_^A

今から40数年前の事です。

母親もよく一人で行かせたな~と思います。

携帯電話も無い時代に。

時代ですね・・・。