理由はこれだ!母の料理ベスト3 

前回、母の記事を書いた事で思い出した。

母は9人兄弟姉妹の一番上の長女として産まれましたが長女である母だけが母親が違ったのです。

ですから他の8人は腹違いの兄弟姉妹という事になります。

子供の頃、母の家は貧乏だったらしく『腹一杯』にご飯を食べる事はできなかったようです。

9人兄弟姉妹の一番上という事と、一人だけ母親が違うという事もあり我慢をしていたのだという。

因みに9番目の子供は四女なのですが、歳が私の1歳上のお姉さんです。

でもこの人は母の妹になるので叔母になります。

そんな母は中学を卒業すると共に生まれ育った岩手県を離れて北海道へとやってきました。

そして畑作農家に住み込みで働く事になった。

当時16歳の乙女は(母親の事を乙女と書くのは照れますが)

住み込んだ農家で

「沢山食べなさいね」

と言われても恥ずかしくて「おかわり下さい」と言えなかったらしい。

ここでも母は『腹一杯』になる事はできなかったようだ。

3年程働いた頃、お見合いの話しがあった。

相手は今の父です。

貧乏をしていてご飯も『腹一杯』食べる事ができなかった母。

お金持ちの男と結婚をして少しでも贅沢をしたいと思いきや、

「もし結婚するなら貧乏そうな人にしよう。そうすれば貧乏な自分が惨め想いをする事がない」

と考えたらしい。

この想いからの結婚ですから父に対して想いは
・いい男ではない
・心惹かれたものはない
・恋愛感情はない

という感じだったらしい。

母はこの人と結婚をして子供が産まれた。

母親は自分の子供が「おかわり!!」と言った時に、ご飯が無いということだけは言いたくない。

『腹一杯』ご飯を食べさせてあげたいと思っていたらしい。

確かにご飯は沢山食べた記憶がある。

私には1歳下の弟がいるのですが、一時は1日一升の米を炊いていた時もあったようだ。

野球部の私とサッカ-部の弟でしたから。

結婚をしてからの母は、給食センター(学校)・病院の調理場で働いていたのですが、当時の給食センタ-長の勧めで調理師免許を取得した。

調理師免許を取得したからという訳ではないのでしょうが、給食センタ-で働いている時のメニュ-を参考にしたり、TV番組の料理をメモして自分流にアレンジをして料理のレパ-トリ-を増やしたようです。

その中でも私の記憶に残る <料理ベスト3>
1.どんぶり茶碗蒸し
2.ひき肉入り味噌ラーメン
3.スパゲッティ ミートソ-ス
 ※スパゲッティですよ パスタではありません(笑)

ベスト3について解説をさせて頂きます。

1.どんぶり茶碗蒸し
 茶碗蒸しの器は小さい!こんな器の量で『腹一杯』にならない!という事でどんぶりになりました。
 母らしい発想です。
 そもそも茶碗蒸しで『腹一杯』にしようとする人はいませんけどね。  

2.ひき肉入りラーメン
 これは以前ブログに書いた事に関係するのですが、私が中学生の時に30kmの道程を自転車に乗り美味
 しいラーメンを求めて旅に出た事があります。(大袈裟ですね)
 それを知った母は、それじゃあ美味しいラーメンを作ってやろうじゃないかと出来上がったのがこれ
 なんです。     

3.スパゲッティ ミートソ-ス
 給食センタ-のメニュ-にあって初めて知ったらしいのです。
 子供はこういうものを好むのだ思い、自分はあまり好きではなかったらしいのですが、私達が喜んで 
 食べてくれるならと作ってくれた私達の為の料理なんです。

こんな母は今でも12月31日には、どんぶり茶碗蒸しを作ってくれています(笑) 

   

 

私の才能は親譲りだった

中学の時の美術が通信簿で『2』だったにもかかわらず子供達の為に何とも不気味な ドラえもん を描いた私ですが、どうやらこの才能は母親譲りだったようです。

もう50年近く前の事になります。

私が小学1年か2年生の時です。

学芸会の劇で『みなしごハッチ』をやる事になったのです。

私の役は

ハッチでもなくママでもない。

その他のハチ達です。

台詞はありません。

因みにクラスの児童が全員出演だったと記憶しています。

私はその他のハチなので、最後に数匹(数人)で羽を広げて(腕を広げるだけ)飛んでいるように舞台を2~3周するだけです。

ただ劇ですので一応ハチらしく見えるように画用紙で頭に被り物をします。

被り物といっても画用紙を輪にしてハチの縞模様の色を塗り、触覚をつけたものです。

この被り物ですが、担任の先生は保護者に作成して下さいと要請してきたのです。

もう遥か昔のことなので記憶は曖昧なのですが、母親は絵を描いてくれた事も工作もしてくれた事がなかったと思います。

毛糸で手袋・帽子はよく作ってくれたんですけどね。

母親は担任からの要請を聞いて困りながらも学芸会当日にはハチの被り物が出来上がっていました。

私はそれをもって学校へ。

学校へ行って私と同じ役の被り物と自分の物を比べると何かが違う。

皆、綺麗な縞模様なのに私のは縞模様が波をうっているんです。

ぐにゃぐにゃなんです。

それと色合いも少し違うんです。

まあこれは遠くから見ればよくわからない。

しかし、私の出番直前に事件は起きました。

♪ゆけゆけハッチ みつばちハッチ♬

音楽が流れ始めて、その他のハチが羽を広げて舞台飛び回ります。

私が準備していると目の前に何かが ひらひら と落ちた。

なんだ! 私の触覚だ!!

焦って拾って頭につけたが元には戻らない。

仕方なく私は、皆が両手を広げて飛んでいるのに、触覚を押さえながら片手を広げて飛ぶ羽目になった。

劇が終わり家に帰ると母親が

「なんで片手で飛んでたの?」

と聞くので説明をすると。

「あら~ ご飯粒でつけたのが駄目だったかな~ ごめんね~」

と謝ってきた。

当時の私は何とも思っていなかったが今なら言える

ご飯粒が乾燥して触覚がとれたよね母さん!!

きちんと糊でつけてよね!!

でも私の為に頑張ってくれた事には感謝しております。

最愛の二人に贈った力作

私は学校の授業で美術が一番苦手だった。

中学では通信簿が10段階評価になったのですが

『2』だった事があります。

5段階評価にすると『1』なので最低です。

嫌いだったので課題提出をしなかったが響いたのがあるようですが才能はありませんでした。

こんな私が結婚をして息子・娘の子供二人に恵まれました。

子供が成長してくると

「お父さん絵を描いて」

と言ってきた事があります。

そんな二人は笑顔で私の横にきてピッタリと身を寄せてくるんです。

可愛かったですね~。

そんな子供達のリクエストに父親として何とか答えてあげなくてはならないと思い考えました。

考え抜いた挙句、私が描いたのは『ドラえもん』でした。

でも描いた人は10段階評価の通信簿で『2』の私です。

私が描き終えると

「わ~ ドラえもんだ~!」

と大喜びです。

この時の私は父親という重責をやり遂げた達成感で感無量でしたwww

通信簿で『2』の私が子供の為に頑張っていた頃がありました。

そんな私が描いたのは、この一枚だけなんですが妻が大事に保管していたんです。

その絵を二人の子供達が社会人になったある時に妻が

「じゃ~ん」

私が描いた ドラえもん 登場!!

子供達は

「お~新しい ドラえもんだ!!」

と大笑いです。

私も笑わずにはいられませんでした。

笑いながらも妻は

「絵が苦手なお父さんが一生懸命描いた力作だから大事に保管しておきました!!
 あんた達ははこのドラえもんを見て物凄く喜んでいたんだよ」

とフォロ-?

私が描いたものは、足がなが~い細身のドラえもん。

自分で言うのは何ですが不気味だった。

美術が10段階評価の『2』でも

この時は親として頑張っていたのです私もwww

残念ながらその力作は有りません。

有ってもお見せしませんけどね・・・。

雨垂れだって

息子と娘がいる私。

息子は小学生から少年団に入り野球を始め、中学・高校と野球漬けでした。

娘は5歳位の頃に「大きくなたら美容師になる」と言ってから気持ちが変わることなく

今は美容師になりました。

息子はプロ野球選手に・・・とはいきませんでしたが、取り敢えず社会人になり働いております。

子供達には「努力すれば良い結果がでるから継続してやりなさい」と大層な事を言っていた私。

今の私はどうだろう。

何の努力もしていない。

ラジオを聴いていると

『雨垂れ石を穿つ』

という言葉を聞いて考えてしまった。

偉そうな事を言っているが行動が伴っていない。

それは難しい、無理だと決めつけている自分がいる。

いかん!!

運転をしながら聴いていたラジオ。

そのままコンビニへ入りホットコ-ヒ-を買い

運転席で飲みながら独り反省。

この反省が明日からの自分に活かす事ができるだろうか・・・

明日からと言っている自分が駄目だな 

今からだなwww

筆談を愉しむ娘と私

20年程前の事ですが風邪を引いてかすれ声になった事があった。

当時は新しい仕事の立ち上げで3ヶ月程物流倉庫で仕事をしていた。

何人かの同僚と仕事をしていたのですが、離れた場所にいる同僚に用事がある時には大声で呼ぶ事が頻繁にあった。

こんな仕事のせいもあったのか風邪が治っても声のかすれがなかなか良くならなかった。

のど飴を幾つ買ったかな~。

のど飴の袋に『食べ過ぎるとお腹がゆるくなることがあります』と書いてあるのですが、本当にゆるくなりました(;^_^A

2ヶ月以上も良くならなかったので総合病院の耳鼻咽喉科を受診すると

「喉に炎症を起こしていますね 喉の吸入しましょう。暫く通院して下さい。」

と医者から言われた。

言われた通り通院したのですが一向に良くならない。

そんな状態が3ヶ月続いた。

病院へ行っても

「どうですか?まだ良くなってませんね~ 吸入していって下さい。」

というだけ。

病状が変わらないけど大丈夫か?と思った私は病院を替えた。

別の総合病院の耳鼻咽喉科を受診すると。

「鼻からカメラ入れて喉を診ますね」

と言われた。

結果は

「声帯ポリ-プですね 切除が必要です。」

とあっさり言われました。

風邪の症状と重なった事もありますが、大声を出し過ぎると駄目みたいですね(笑)

この医者曰く、

「3ヶ月も治療して声のかすれが良くならないのに吸入だけの治療はあり得ない。普通はカメラを入れて検査します」

と言っていた。

ほ~と思いながらも手術をしないと治らないという事なので説明を受けて後日入院。

手術は全身麻酔で口から内視鏡を入れて切除するというものだったと思います。

手術の時間は短く簡単な手術だったのですが、この後が大変。

術後1週間、声出し厳禁なんです。

私のベットの横には

『この患者さんは声を出すことができません』

という貼り紙がいつの間にかされていた。

看護師さんから

「声を出すことは駄目ですから筆談して下さいね」

と言われた。

術後直ぐに声を出すと声帯に傷がつく可能性があり元通りの声に戻らないということだった。

術後、指示通り安静にしていると、なんだか熱っぽくなってきた。

内視鏡手術とはいえ体に傷をつけているので当然だ。

私の平熱は35.8℃くらいなのですが確か37.0℃を少し超えた位の熱になった。

多くの人は微熱で大した事がない体温だと思うのですが私には辛い体温。

平熱が36.4~5℃の人が38.0℃位になった感覚?だと思います。

『熱が出ました!』

と書いた紙を持ってナースステ-ションへ行くと

「あら~ナースコールで良いんですよ 声を出せないとわかっていますからコ-ルしてくれれば直ぐに行きますからね~」

と優しく笑顔で言ってくれた。

優しく言ってくれたのは良いが、それは先に言ってよ~!と思いながらベットに戻った事を憶えている。

こんな入院生活だったが一つだけ良い事があった。

娘が小学生だったのですが私と筆談する事が嬉しかったようだ。

娘からの筆談での質問は

「痛い?」「大丈夫?」「いつ帰ってくるの?」

という内容だったかな・・・?

この質問に私が文字を書いて返事をするのをニコニコしながら見ていた娘。

筆談が新鮮だったのでしょうね。

たかだか10日間程の入院だったと思うのですが、バスで1時間程かかる病院に5~6回位来たような記憶があります。

入院はしたくないが、この事だけは入院も悪くないと思った事だった。

この時の入院は

別な病院で医師の意見(診断)を聞くという意味では セカンドオピニオン の重要性と

娘との楽しい想い出作りができました(親の想い出です・・・(;^_^A)

私は想い出だと思っていますが娘は憶えていないでしょうね・・・。

知れば知るほど 笑いと納得

昼食をとっている時に後輩からラインがきた。

えび重を食べてました 610円(税込)

「先輩から紹介頂いたお客様から連絡を頂きました。今回は商談成立しませんでしたが私の会社の事業内容をアピりました!!」

というものだった。

一瞬 なに?

誤入力?

と思ったのだが『アピ-ル』だという事をなんとなく理解した。

念のため調べると(以下ネットより引用)

アピるとは「アピ-ルする」を略したコギャル語である。アピるを使うコギャルがアピ-ル(主張)
するものはほとんどが自分自身であり「自己アピ-ルする」の略と考えてよい。

という事だ。

なる程と妙に納得したが

あいつ(後輩)俺の5歳下(私57歳)のおっさんのくせに、なにコギャル語使ってるんだと一人で笑ってしまった。

ちょっと前なら、こういった言葉をなかなか受け入れる事ができなかった私ですが、今は意味をきちんと理解して自分の新しい情報として吸収する努力をしています。

自分が中高生の時、新社会人になった時の言葉・行動は、当時の大人・先輩社員からすれば新しい情報だったに違いない。

吸収した情報(今回は言葉)を自分はどうのように活かすかを考えれば良いのだと思う。

もし私がこのような言葉を使う時には

TPOをわきまえる

といったところでしょうか。

なんにしても新しい言葉が多いですね。

英語を話せない私ですが、日本語がわからない?なんて日が来ない事を祈ります(笑)

株が上昇した日からの今

結婚して33年が過ぎた。

付き合いを入れると約38年になる。

私は付き合っている時から妻の変化に自然と気が付く。

変化と言っても

・髪型の変化
・化粧の変化
・新しい服(見た事がない)

こんな感じだ。

変わった事に気が付いた私はその事を妻に言う。

勿論、誉め言葉と共にです。

今でも妻のこういった変化には気が付くので

「良くわかるよね」

と言われます。

私は

「君しか見ていないからね」

と言っています。

これは冗談です。

私としては特別な事ではなく普通に気が付くのです。

接客業・営業をとしているうちに自然と観察するようになったのかも知れません。

特に接客業の時は、リピ-タ-やそのリピ-タ-が客を紹介をしてくれる事があったので

失礼のないように顧客カードを作製して顔を覚えていましたので、そのせいかもしれません。

職業病ですかね。

20数年前の事

娘が小学生の頃の話しになりますが、妻が美容室で髪を少しだけカットしてきた事がありました。

娘は私が妻の変化に気づくかを確認しようと仕事から帰宅する私を待っていました。

私は帰宅して妻の顔をみた瞬間

「髪切ってきたの 良いじゃない」

と言うと

娘が

「わ~凄い!!」

という言葉と共に私の株が上がった時がありました(笑)

ここで断っておきますが、決して私の自慢話ではないのです。

ここからが本番です。

私、結婚当初から髪は短めにしておりました。

横と後ろは少し刈り上げてム-スなんかをつけて決めてました。

今も変わらず、そんな感じですが刈り上げは昔よりも今の方が短く刈り上げております。

歳と共に短い方が手入れが楽なんです。

妻は出かける時に私の髪型が整髪料で

ピッシ~!!

としていないと嫌なようで

休日に洗いざらしのような頭で買い物に行こうとすると

「髪 そのままで行くの?」

とちょっと不満そうなんです。

それだけ言うのにですよ、私が仕事帰りに髪を切って帰っても全く気付かず

何日か経ってから

「いつ髪切ってきたの~」

ですよ~(笑)

妻曰く

「いつも短くしているからわからない」

そんな事ないでしょう~(笑)(笑)(笑)

因みにですが

「凄い!!」と言ってくれた娘は今、美容師になり妻の髪をカットしています。