ついに来た!!

娘ネタ続きになりますが

一人暮らしをしている娘が帰ってきた時の事です。

夕食を食べて少しすると

「お話しがあるので聞いて下さい」

と言ってきた。

妻と私が椅子に座ると

「今付き合っている人と結婚しようと思ってます」

と言ってきた。

私も妻も察しはついていた。

妻と息子(兄)は既に彼氏には会っていて良い人のようだと聞いていたし、娘の選んだ人を反対する理由はない。

そういう意味では娘を信頼していた。

娘には以前から「お前の選んだ人との結婚を反対する事はない、ただそこから先は二人の責任で生活をしていかなくてはならないからな」と話していたので

「良いよ」

と一つ返事で祝福をした。

だが娘は、目に涙を一杯溜めている。

彼氏というのは、全国に拠点がある営業職なので転勤がるのです。

そうなると、今は直ぐにでも里帰りできますが、転勤するとそうはいかなくなります。

自分が寂しいというよりも、「近くに居れなくてごめんなさい」という事だったようだ。

その言葉を聞いて、涙腺が緩みかけましたが何とか耐えた。

だが妻は私の横で、涙ボロボロでした。
「良かった、おめでとう」という気持ちと寂しさで・・・

私達の本音は、当然、近くに居てくれた方が良い。

しかし、娘の幸せを親の一言で壊すわけにはいかないので、そんな事は言わない。

実はこの事はもっと早く記事にしようと思っていたのだが、なかなか書けなかった。

顔にも態度にもだしていないつもりでしたが、寂しさが「なかなか書けない」という、ここにでてしまったようです・・・

この事があったから、娘の事を想いだして記事を書いたような気がします。

まだあったら書きますけどね(笑)

娘からこの話しがあった後に食事を皆(我が家4人と彼)でする事になっていて、昨日の夜に食事をした。

最初に

「親として一つだけ言わせてもらう 娘を大事にしてくれな」

と、お願いをして楽しく食事をしてきた。

直接会った私の感想も、妻と息子から聞いていた通りの男だった。

翌日、妻と買い物に出かけ

「娘は遠くに行きそうだけど、お前には俺がいるから良いよな」

と言ったのだが、妻からは

「う~~~ん」

という何とも寂しい返事だった・・・(笑)(笑)(笑)

深夜の恐怖・・・

あの時の事は今でも鮮明に覚えている。

息子5歳・娘3歳位の時だったと思う。

妻は用事があり出かけていた夜の事だった。

子供達二人を寝かせた後、私は椅子に横になりながらテレビを見ていたのですが
23時を過ぎたあたりで寝てしまったらしいのです。

どれくらい時間が経ったのかはわかりませんが、急に私の胸のあたりに何かが
乗ってきたのです。

その瞬間、眠りから覚めたのですが怖くて目があけられません。

「もっ、もっ、もしかして、これが金縛りというものなのか?」と思いながらじっとしていました。

私は、俗にいう霊感は全くなく、見た事も感じた事もなく、まして金縛りなんてなった事もありませんでした。

じっとしていたのは僅かな時間だったと思うのですがその後、意を決して目を
あけました。

すると、私の目の前に顔が・・・

そして、その直後に言葉を発したのです

「お父さん オシッコ~」

胸の上に乗っていたのは、娘だったのです。

いや~ほっとしましたね~あの時は。

恐怖が微笑みに一瞬で変わり、娘を抱きしめました。
今は抱きしめさせてくれないと思いますけどね・・・(笑)

娘は多分、目が覚めて自分の横を見ると、いつも横にいる筈の母親が居ない事に寂しさを感じたのでしょうね。

それで私の胸の上に乗り、顔を覗き込んでいたのでしょう。

子供は、いつもと違う状況になると不安を感じるのですよね。

子供の不安は払拭してあげる事が大切です。

それが抱きしめてあげる事でも。

今回の場合は、どちらかと言えば私が不安を払拭する為に抱きしめたのかもしれませんけど(笑)

体験談のような事をラジオで話していたのを聞いて、30年近く前の事件?を思い出しました。

懐かしい~。

あの時、上から重圧がかかってきた瞬間はホント怖かった・・・

思い込みの行動が笑いになった

かなり前の事だが娘からラインが入った。

雨が少し降っていたようなので、傘を持ってマンションを出たとの事。

玄関で腕に傘をかけ部屋を出た。

マンションの玄関を出た所で傘をさそうと思い腕を見てビックリ!!

腕にかけていたものは何と

んっ!?

これなんです!

靴ベラです(笑)

玄関に、靴ベラ・傘と横並びに掛けてあったそうですが大丈夫か?娘!!

腕に掛けた時に気が付かなかったのか?

いくら何でも重さが違うだろう。

でも人間、思い込みで行動すると、こんなものなのかもしれない。

これは、ただただ笑える事だが場合によっては一大事になる事だってある。

どんな事でも思い込みで行動すると痛い目にあう。

場合によっては恥ずかしい目にもあう。

このまま道を歩いて行ったら、ちょっとした有名人になったかもしれないな(笑)

しかし、この出来事を父親に知らせてくるとは・・・(笑)(笑)(笑)

焦らず確認!

ある店舗のトイレに行った時の事です。

入り口は自動ドアになっており、ドアの上に

トイレ 男・女と表示されていた。

それを見ながら入ると、中に又案内表示があったので確認すると

←女 男→になっているのです。

入り口の自動ドア上の表示と、中の表示が左右逆なんです。

私はこの時、気持ちに余裕のある状態だったので確認をして入れましたが

最初の表示をだけ見て入って行くと事件ですよね~。

人は焦ると確認が疎かになります。

私も焦って入っていたら、どうなっていた事か・・・(笑)

むか~しであれば「すいません間違えました」で済んだのかも?しれませんが
今は「キャ~痴漢!!」となり通報される確率が高いのではないでしょうか。

確認は大事ですよ~

しかし、この表示

何とかならないですかね・・・

ペンギン?いや2ブロックです!

久しぶりに帰って来た美容師の娘に自宅で髪をカットしてもらった。

私は短い髪が好みなので「後ろと横は刈り上げてくれ!」と言いカット開始。

その後、程なくして終了。

私のイメ-ジよりは長めだったが、娘が「この位が丁度良い」というので納得する事にした。

頭についているカットした髪の毛を落とす為にシャワ-で洗髪、そして乾燥させてドライヤ-でセットしてみた。

そうすると横の髪がペンギンの頭のように跳ねるんです。
白髪なので丁度ペンギンの頭のように見えたんですよね~ちょっと大袈裟に言いました(笑)

雑に乾燥させたのでこんな感じに・・・

娘に

「横がペンギンになるけど」

と言うと

「どれ~どこが?」

「これの事?これは2ブロックにしたんです! 白髪だからちょっと髪が起き上がるのかな?お父さん、整髪料つけてセットするから大丈夫!その予定のカットです」との事。

確かにセットするときちんとなった。

「ほ~これが2ブロックというものか~と」い思いながら、しばらく鏡を覗いていました。

以前、若い人の髪型で耳の周りが少し薄い人が居たのだが2ブロックというものだったんだ。

世間では『2ブロック禁止』の校則で少し前に騒がれていましたね。

私はペンギン頭(自称)になって一人で騒いでいましたけどね。

余談ですが、私の学生時代は耳に髪がかかったら校則違反でした。

そして違反すると坊主頭にされたものです。

今ではあり得ない事。

とんでもない校則ですよね~。

それはそうと、2ブロック問題はその後どうなったのでしょう。

『事件に遭う事を防ぐ』事が禁止理由だったと思うのですが

禁止にするのであれば、校則違反の定義を明確に示す必要があるのではないでしょうか。

私の学生時代とは違うのですよ今は・・・。

夢 叶えた娘

私の娘、美容師なんです。

幼稚園の時に何のきっかけかは忘れましたが

「大人になったら美容師になる!」

と言い出したのです。

それから小学・中学と成長し、高校は別にどこでも良かったらしく自宅からほど近い高校に進学しました。

娘曰く、「理美容専門学校に行くんだから高校はどこでも良い!」という考えだったらしい。

高校を卒業した娘は理美容専門学校へ進み美容師になった。

あれからもう9年経過して一人前のスタイリスト(そう呼ぶらしい)だ。

私は、幼稚園の頃からの夢を叶えた娘に感心している。

国家資格を取得して就職すると、始めは毎日練習で遅い日が続いていると聞いていたので、もしかしたら堪え切れず辞めて帰ってくるのではと心配していたのですが、私の心配をよそに毎日楽しんで仕事をしていたようです。

自分の子供ながら娘に教えられたような気がします。

自分が本当に好きでやりたい仕事は、どんなに苦労をしてもやり遂げられる。いや苦労に見える事が苦労だと感じない。

どんなきっかけであろうと娘は子供の頃から将来に夢を持ち、実現した。

私はどうだったろうか?

取り敢えず就職をしないといけないと思い就職をした。

子供の頃は、いくつか夢があったような気がするが結局は何一つ叶えていない。

強く思ったものが無かったのかも知れないが、努力もしていない。

よくこんな父親からこんな娘が育ったものだ(笑)

違和感

ネットを見ていると

『渡哲也さん 吉永小百合さんの恋
        結婚が許されなかった理由』

という記事が掲載されていたので読んでみた。

(引用 太字)

渡さんは若い頃から病魔に蝕まれていた
1972年  葉間肋膜炎
1974年  胸膜癒着症
1975年  肺感染症
1991年  直腸がんで手術→人工肛門
2015年  急性心筋梗塞
2016年  肺気腫 喘息

この長い闘病の間、ひと時たりとも傍を離れなかったのが妻の俊子さん

渡は一目ぼれをして結婚

等々書いてあった。

妻である俊子さんの献身的な看護があったから、渡哲也は芸能界で活躍する事ができたと言っても過言ではないという内容。

記事はまだ続く

『愛と死の記録』で、吉永小百合と共演。

小百合さんは、手編みのセ-タ-を渡さんに贈っていた

二人は交際をし、2年続いた。

しかし、吉永小百合の父親が結婚を反対。

渡との結婚というよりも、結婚そのものを認めようとしなかった。

清純イメ-ジで売っていたが、そのイメ-ジが傷つく事を恐れた。

又、吉永に専業主婦になって欲しかった渡の両親の意向にも吉永の父が反対。

というものだった。

ファンとしては、非常に興味のある内容である。

気持ちは私も同じである。

しかし、この記事を今掲載した事に関して違和感を覚える。

芸能ネタであり、読者の目を引く内容だという事は十分理解はできる。
「今 明かす真実」みたいになっているが
渡さんを献身的にサポ-トをして、人生を全うさせてあげた妻である俊子さんを思うと、この記事のタイトルは、そして今この内容が必要なのか・・・という感じです。

今は静かに故人を偲ぶ時ではないかと思う。

芸能界に身を置くという事は、こういう事も覚悟しなくてはならないという事なのかな・・・。

「西部警察」「大都会」欠かさず観てました。

石原裕次郎さんとの幻の共演「松竹梅CM] 良いですよね~。

渡哲也さんのご冥福をお祈りします。

この行動には意味がある

いつだったかラジオを聞いていると

「飲食の商売をしているが、コロナの影響で店を開けても客は誰も来ない」
と両親にこぼした。

すると翌日、両親が開店時間からやってきて、何をする訳でもなく閉店までカウンタ-席に座り続けた。

というものだった。

父親が一言だけ言ったそうです

「商売の敵は、孤独 という事だ」

そう言ってカウンタ-席に着いたそうです。

人間孤独になると、『苦しく』『不安』を感じるようになる。
その中で商売をする事は非常に辛い事。
又、そんな表情の時に客が来店しても良い接客ができない。
と、メンタルのケアにやってきたようです。

このご両親は、自分たちも商売をやっていた事もあり様々な経験があった中での行動だったようです。

普通なら、知り合いにでも声をかけて「お店に行ってあげて」とお願いするか、自分たちが客として店に通う事くらいが関の山ではないだろうか。

決してこの事を非難する訳ではありません。

この時期にお願いをしてもなかな難しいというのが現実。

「今が踏ん張りどころだ」「頑張れ」

と言いたかったのだと思う。

現実には、皆さん頑張っている。

頑張っていても閉店を余儀なくされた方もいらっしゃいます。

そんな中ではあるが、このご両親の行動と一言には胸を打たれたのと同時に
私は、このような親になれているのだろうかと思った。

子供と親の関係はいつまでも変わらない。

しかし、社会生活が始まった時点で全ての事を自分の責任で生きて行かなくてはならない。

その為に伝えられる事は、どんな方法でも伝えてあげたいですね。

私の場合は、子供達に教えられることも多くなってきたような気がします(笑)

この先の人生は、私よりも長い筈です。

その子供達に伝えられる事があれば伝えていきたい。

このご両親のようにはできないかも知れませんが・・・。

新たな町名スタイル!?

北海道に「雄武町」という町があります。

総人口:4,436人(2020年5月31日現在)
基幹産業:漁業・酪農・畜産・林業 
雄武町沿岸では、サケ・ホタテ・カニが獲れる素敵な町です。

この「雄武町」という町名にまつわる?話を思い出しました。

10年程前になりますが、ある物流大手企業に新入社員が入社しました。

研修を終えた20歳の女性社員が、配送を手配する業務課の事務員として配属されました。

ある日、御客から一本の電話が入り新人女性が応対にあたった時の事です。

(御客)
「オウムチョウまで荷物を運んで欲しいんだけど、いつ納品できる?」

と問い合わせてきた
女性は「オウムチョウ」という町名を聞いた事がなく知らなかったので、漢字でどう書くのかを御客に聞いてみた。

(御客)
「英雄の雄に 武士の武と書いて、雄武(オウム)と読むんだよ」

と優しく教えてくれたらしい。

女性は

「只今、担当者が席を外しておりますので戻り次第ご連絡をさせて頂きます」

と説明をして電話を切った。

と100点の応対です。

とここまでは良かったのですが、この後事件?が起きました(事件ではないのですが(笑))

女性はこの後、御客から聞いた事をメモに書いて担当者の机に置きました。

このメモには

ん?何と読む?

こう書かれてあったのです。

おわかり頂けますでしょうか?

このメモを見た担当者は何の事だかわからず、女性に確認すると

英雄→au

だったんですね~。

「雄武町」を知らなかった女性は何の疑問も抱かずに、こう理解したんですね。

auのuに武士の武だと。

この話しを聞いて私は大爆笑でしたが

話しの流れから言って間違いではないんですよね~(笑)

時代なんですかね~

その時の担当者は、優しく訂正して教えてあげたようです。

昭和から平成、そして令和と時代は変化しています。

様々な事が変化している今、一般常識も変化しつつあるような気がします。

こんなの「当たり前」「常識」と思わずに、角度を変えながら考えていく必要があります。

女性のメモ

ただの笑い話にしか聞こえないかも知れませんけれど、この時にどう指導していくかによってこの女性の将来、企業の将来が変わるかも?知れません。

ただ、今はネットで直ぐに検索できますから確認をするという事も大事なんですけどね。

それも含めて教えてあげる事が必要なんですね。

でもこの話しを聞いた時は笑いと共に

お~こういう発想もあるんだと正直考えさせられましたね・・・。

<続>この決断!正しかったのか!?

高校1年生の春季大会からレギュラ-として試合に出場させてもらった息子は、夏季大会も1番センタ-でスタメンで出場する事ができた。

大会成績は2回戦敗退、まあ仕方がない。

2年生になり一時センタ-からサ-ドへコンバ-トされ、サードというホットコ-ナ-の重圧からなのか円形脱毛症になりながらも毎日野球をやっていた。

3年生になり最後の大会の前日のことだった。

「父さん、太ももの肉離れやったみたいだ」

続けて

「監督に話した方が良いだろうか?監督に言ったらベンチかな~
ちょっとテーピングして動いてみるわ」

と言って外に体を動かしに行った。

帰ってきた息子は

「動ける!やれる!大丈夫だ!」

とまるで自分に言い聞かせるように私に言ってきた。

息子は、私には自分の状況を言いたかったのだろう。

私の内心は、「無理して状態が悪くならなければ良いが、という気持ちと最後の大会だから出させてやりたいし、親としても観たいよな」

というのが本音だった。

ただ一番心配だったのは、息子が原因でチ-ムに迷惑がかからなければ良いがと思っていた。

「体の状態は本人しかわからない。駄目だと思ったら直ぐに監督に言え!まあ明らかに駄目だったら監督は直ぐにわかるだろうけどな」

「俺は観客席から観てるからな!」

と息子に話しをた。

翌日の試合、テーピングをして痛み止めを飲んで臨みました。

1番センタ-で出場です。

息子は4打数3安打と絶好調だった。

最初に出塁した時、盗塁のサインが出た。

結果はクロスプレイで「アウト」

試合は、得点までは記憶にないが勝利した。

翌日の第二試合は、強豪チ-ムとの対戦になり息子は1安打したものの
無得点で敗退した。

試合が終了してベンチ前に選手達が整列した。

私達がいる観客席に向かって

「応援ありがとうございました!!」

この声を聞いたと同時に、目頭が熱くなりながら拍手を送った。

因みに妻は、ぐしゃぐしゃの顔で「頑張った!頑張った!」と言い続けて拍手を送っていました。

この妻の顔を見た時は、熱くなった目がしらから涙がこぼれないように我慢をしていたのですが、こぼれちゃいましたね~。

この時送った拍手は、息子にだけではなく純粋にチ-ム全体への拍手と監督、部長への感謝の気持ちでした。

こうして息子の高校野球が終わりました。

同時に私達親も、又一つ親として子供にしてあげる事が減ったような寂しさがあったような気がします。

後で息子に聞いたのですが、

「盗塁のサインでると思ったんだよね~、あのアウトは足のせいではなくスタ-トのタイミングが遅かった・・・」

と言ってました。

私はこの時点でも、肉離れで試合に出た事が正しかったのか?と思っていた。

ただ息子の精神的な成長を感じることができましたかね。

反省は、野球ばかりやっていて勉強が疎かになり過ぎた事ですね(笑)

その数か月後、保護者参加の三年生を送る会のようなものが開催された時に
監督と私が最後の大会の話しをしていました。

息子が肉離れをしていてテーピングをして強行出場した事を話すと

「いや~わかりませんでした。あ~だから盗塁でアウトになったんだ~あいつがアウトになる訳ありませんからね(笑)」

「いや、父さんがそう言って息子が判断して出たんだからそれで良かったんです」

と言ってくれた。

監督は間違いなく気を使ってくれたのですが、その言葉で少し肩の荷が下りました。

進学の決断が正しかったかどうかは判りませんが、三年間の高校生活で息子が得たものはあったのではないかと思っています。
監督から学べるところも多くありましたしね。

私達 親も・・・