傍若無人

ネット記事を読んでいると「傍若無人」という言葉が目に留まった。

あ~ うちにもいるな~

なんて思いながら読んでいた。

母親と二人で出かけて一緒に帰ってきたにもかかわらず、玄関の扉を開けて自分が入ったら勢いよく扉を閉める。

冬のある寒い日に茶の間で母親と二人で過ごしていたいたはずなのに、自分が出かける時にはスト-ブを消して出かける。

てな感じです(笑)

おわかりになったとは思いますが私の父親です。

子供の頃から私は父親の事は嫌いでした。

今でも好きではありません。

父親は「電気をつけたら消しなさい!」「家に入ったら玄関の鍵はかけなさい!」

等々、私達子供に注意、いや怒っていたが自分は何一つできていなかった。

二世帯で同居してからは、二階の私達が22時頃にシャワ-を使うと「うるさくて寝られない」と言ってきたらしい。

しかし父は、夜中にトイレに起きては、扉を勢いよく閉めるものだから二階に居る私達は目が覚めてしまう。

こんな父親にこれ以上面倒をみてもらいたくない!と思った私は高校を卒業したら就職をして家を出る!そう決めて家を出た。

しかし、23歳で結婚をして長男・長女が産まれて数年した時に同居する事になった。

妻には結婚前に、いずれは両親と同居をする事の承諾をもらっていたのだが当の私は同居するのは嫌だった。

しかし長男である私は使命感のようなものがあった。

同居して27年、こんな傍若無人の父親と生活すると腹の立つ事が数多くありました。

時には大喧嘩になり娘が仲裁に入った事もあります。

自分が言っている事が一番正しい、人の意見を聞かない人なんです。

今年85歳になるの父親。

数年前に自動車免許の返納を優しくお願いした。

すると

「じゃあタクシ-代くれ!おれは病院にも行かなくてはならない。お金がかかる!」

と言ってきた。

私は唖然とした。

田舎町だが一応、公共の交通機関を利用して通院をする事が可能だ。

父は自動車免許を取得した年齢が遅かった事もあるのか運転に不安があった。

そこにきて高齢になってきたものだから尚更だった。

現に、オートシャッタ-の扉が開き切る前に車を動かして3.4回シャッタ-を破損させている。

この事を追求すると

「あれはシャッタ-の調子が悪くて、開いたシャッタ-が誤動作で下がって来たんだ!」

という。

ブレ-キとアクセルを踏み間違えて という事故が高齢者で多いと話すと。

「あれは時々しか運転しないから起こる事。いつも運転している自分は大丈夫」

な~んて言う始末。

単独事故で済めば良いが、人を巻き込んだ事故を起こしたら大変だからさと、もう私の怒りはMAX状態ではあったが堪えて言うと

「俺が入っている保険は何があっても全て補償してくれる、誰にも迷惑はかからない!!」

この言葉を聞いて私は堪忍袋の緒が切れた!!

「何言ってるんだ!!もし被害にあった人が亡くなったらそれでは済まないんだよ。お金だけの問題ではない!人の命だぞ!同居している人間にだって迷惑がかかる!!俺だけならまだしも、妻にも子供達にも!!」

私は外に聞こえているのではないかというくらいの声で怒鳴ったらしい。

二階で蒼ざめた顔で立っていた妻にそう言われた。

この後、何度も説得をした。

皆が心配している。病院へは私が連れていくから大丈夫。

こう言って今年の7月に車をやっと処分した。

私が怒鳴り散らした後は月に一度程運転するくらいのようだったが心配だった。

自分で思っていた以上にストレスを感じていたようで、父が車を処分した日からは言葉では言い表せない爽快な気分だった。

この事に比べれば仕事のストレスなんて・・・(笑)

こんな事もありながらですが、歳月と共に私も成長してきた?のか沸点に変化がでてきました。

と言うより考え方に変化してきました。

父親の人間性は変わる事はないので、病院に連れていく車中の会話は腹の立つ事が多い。

以前の私なら怒っていたのでしょうが、今は黙って聞いて「そうなんだ」と相槌のみ。

私は車を手放してくれた事を感謝?

それと今でも好きではないが私の父親だからな~と思っているからです。

ただ言える事は「傍若無人」は良くないですね・・・。

重なったイベント

厄年はとうに終わっているのに色々な事が今日まであった。

2月に入り、ある会社から誘いの話しがあった。

今年で58歳になる私は今更転職なんて考えてもいなかったが

定年無、70歳まででも働いて欲しいという言葉を頂いて転職を決意。

4月から転職をする事になり準備をしていると、娘から連絡があった。

一昨年結婚をしたのだが、旦那が4月1日付で東京に転勤する事になったという。

娘の旦那は全国転勤がある職業だったので覚悟はしていたが、いざ転勤が決まると寂しさがあった。

娘も正社員で仕事をしていたので、引き継ぎをして8月末まで勤務。

9月に転居する事になった。

この二つの事が2月に起きた。

翌月中旬に同居している母親の調子が悪くなった。

息苦しいというのだ。

このご時世、調子が悪くても直ぐに病院へいく事はできない。

電話で母親の状態を説明した。

熱も高くなくコロナの症状ではないようなので、来院するようにと看護師から指示がでた。

早速連れていくと、医師から即入院と告げられた。

病名は「特発性間質性肺炎」という事で、正常値の血中酸素濃度は「96~99%」だという事だが母親は

「89%」だった。

難病という事。

特定医療費(指定難病)受給者証、特定疾患医療受給者証の認定(交付)申請手続きを行った。

入院時医師からは

「完治はないです。まずはこの治療(治療方法の書いた用紙をもらった)をやってみますが、効果があるかはわからない。まずは最低3ヶ月は入院生活になると思って下さい。退院できたとしても酸素ボンベが必要になる可能性もあります。」

という言葉だった。

この言葉を聞いて長い入院生活になるだろうと覚悟するしかなかった。

入院中は面会をする事ができない為、洗濯物等は病院の受付等を介して受渡をしていた。

洗濯は妻にやってもらった いや やって頂いた(笑)

この母親が入院して4日程経った18時過ぎに担当医師から私の携帯に電話が入った。

何事かと思い電話にでると

「看護師から連絡があったのですが、今日お孫さん(私の息子)が病院へお菓子を持っていらしたらしいのです。
受付に言った名前は私の孫ですから、そのお菓子を渡して下さいとお母さんが言うのですけれど、今回の投薬は血糖値が上昇するので病院食以外は口にできないのです。ですから次回お母さんのお荷物の引き取りに来られた時にお持ち帰り下さい。お母さんにはご説明しましたので。」

というものだった。

確かに入院時の説明で私は聞いていた。

まさか息子がお菓子を差し入れるとは思ってもみなかったので治療についての詳しい説明はしていなかった。

担当医師からの電話を切った私は、一人 笑っていた。

良いところあるな息子よ。

翌日、母親と携帯電話で話しをする事だできたので息子が持って行ったお菓子の事を言うと

「そうなんだわ~ 孫がせっかく持ってきてくれたから渡して欲しいとお願いしたんだ。食べないで置いていおくだけだからとお願いしたんだけど駄目だった。

と言うのだ。

ここでも私は笑ってしまった。

「帰って来るまでとっておくから、先生と看護師さんのいう事きいて早く良くなってくれ!」

そう言って電話を切った。

母親は幸い1ヶ月半程で退院してきた。

朝御飯に何を食べたかを思い出せない事があるのに、孫からのお菓子の事はしっかり覚えていた。

病状が良くなったのは孫(息子)のおかげかも知れない。

その後、母親の退院一週間も経たないうちに義母が入院をした。

病名は脳梗塞だった。

幸い症状は軽かったのだが入院は必要だった。

この入院だが、何の因果か私の母親が入院した病院へ入れ替わりのように入ったのだ。

こんな事がありながら私は4月から新しい職場。

適当?いい加減?臨機応変?なのかわからないが、それなりに仕事をしております。

この歳での転職は私にとって人生最大のイベントだと思っていたのですが違いましたね~(笑)

二人とも無事退院しましたから言える事ですが

私から余計な力みを取り去って仕事をさせてくれたのかも知れません。

こんな感じで月日は流れ娘が転居する9月1日がやってきました。

空港へ妻と見送りに。

友達は数名見送りに来てくれていました。

妻は涙もろい。

娘も私も覚悟していた。

家族写真・友達と一緒にに写真を撮ったりしていると出発時間30分前。

「そじゃあ行くね~」

と娘が手を振り検査場へ歩き出した。

友達も皆

「じゃあね~」

と手を振っている。

妻は・・・

「涙に声を詰まらせながら手を振っている」

妻には何度も自分たちに言い聞かせるように言ってきた

「旦那は全国転勤があるのだからいずれは北海道からいなくなる。それは仕方がない事。旦那には娘を大事にしてくれと俺は頼んだ。どこに行っても大事にしてくれるから大丈夫だ」

まあ実際は自分に言い聞かせて寂しさを紛らわせているだけ?かも知れませんが。

娘が保安検査場へと消えて行った後、妻と二人で展望デッキへ行き娘が乗った飛行機を両手を振りながら見送った。

娘には見えるはずもないのに・・・。

その言葉で大丈夫?

それ褒め言葉?って事があります。

30数年前の私達夫婦の披露宴の時に妻が着つけをしてもらっていた時の事です。

「タオルあまり要らないね~ 着物が似合う体型だね~」

「お母さ!娘さん可愛らしく仕上がりましたよ~」

と着付けをしてくれている女性が言っているのが聞こえました。

私は「お~そうか 可愛く仕上がったんだ」と喜んでいた。

後で義母が言っていたが

「タオルが必要ないって事は、やさしく言うとちょっと太めって事!!」

それを聞いた私は

「なるほど」と納得した(笑)

しかし着付けの女性の言葉は、受け取り方によっては褒め言葉にはならない事もあるなと思った。

「お着物が良くお似合いですね」

くらいで良かったのかも知れない。

相手を褒めているつもりでも失礼になる事があるかも知れない。

笑い話のように思い出した事ですが、日常の会話でも気を付けないといけないなと思った。

特に言葉を選ばないとパワハラ、セクハラになる世の中。

気を付けよう!!

因みに当時の妻は喜んでいました 確か・・・。

こんな人が好き

車を運転して信号待ちをしていた。

そこは交番あるところだった。

雪の積もった横断歩道をスキ-のストックを突きながら交番方向へ歩いている女性がいたのだが、青信号のうちに渡り切れそうにない感じだった。

そう思った私が渡り切るのを待っていると、交番から警察官が走ってきて私の方へ頭を下げながら静止のサインを送りながら女性の手をとり横断をサポ-トした。

当たり前の事なんだろうが飛び出してきた警察官の顔、私に頭を下げながらの行動、なにやら声をかけながら手をとりサポ-ト。

一部始終を車の中で見ていた私は『人間臭くて良い警察官だな~』と思った。

40年以上前になるが、私には警察官との想い出がある。

50ccバイク(原付)がノーヘルで運転しても違反ではなかった頃の事です。

田舎町に住んでいた私は学校が終わり、ノーヘルで50ccバイクに乗って交番の前を通過しようとしたところ警察官に止められた。

「お前高校生か!?ノーヘルで乗っても違反じゃないけれど危険なんだからヘルメット被れ!!」

と怒られ

「ちょっとお茶でも飲んでいけ」

と言われ交番に招き入れられた。

交番に入るなり

「なんだお前〇〇さんところの息子か?」

から始まり色々な世間話が始まった。

そのうち

「お前 バイクの運転上手いな 交通機動隊に入れ!!」

と真剣な顔で言われた。

その時はちょっと真剣に考えましたが、冷静に考えたら50ccのバイクと白バイは全く違う。

俺を持ち上げただけだという事に後から気が付いた(笑)

交番を出る時には

「まだノーヘルは違反じゃないけれど危険だ!又見つけたら交番でお茶しながら説教だからな!!」

と笑いながら言われて見送られた。

それからは、この交番の前を通る時には必ず挨拶をしていましたね、勿論ヘルメットを被って。

懐かしい。

この警察官いや、お巡りさんは人間臭くて良い人だったな~。

あの時には大事な事を教えてもらった。

小さな背中の主役

岩手県に住んでいる母の弟から電話があったらしい。

祖父が亡くなって30年以上は経つなと昔話しをしていたようだ。

この話しを聞いて思い出した事がある。

祖父が体調を崩して入院したのだが、もう長くないようだと連絡が入った。

娘である母は連絡があった翌々日に岩手県へ向かった。

私は仕事の関係で3日程後に父親と一緒に私が運転する車で行く事になった。

24:00頃出航するフェリ-に乗船する為に苫小牧港へ車を走らせた。

乗船手続きを済ませた私は父親に乗船方法を説明した。

「車に運転手以外の人を乗せて乗船できないから、父さんは2階の旅客乗船口から歩道橋を歩いて船に乗って。そして二等室に行ったら2人分の寝るスペ-スを確保しておいて。」

と言うと

「おっおう大丈夫だ任せておけ」

と父親は言ったのだが、顔をみると不安なのが手に取るようにわかった。

「頼むよ」

と言って私は駐車場へ行き乗船する為に車内で待っていると、歩道橋の窓から父親が私の車を見ているではないか。

「乗船して場所取りしなさいって言ったのに何やってるんだか、と思いながら笑ってしまった。まあ予想通りだ」

車の乗船が終わり二等室へ行ってみると、せま~いスペ-スにちょこんと座っている背中がやけに小さく見える父がいた」

やっぱりこうなってるのね(笑)仕方がないよな慣れてないし、説明した時の顔を見た時にこうなると予想していた事だ。

私は父親さえ二等室で寝られれば、自分はレストラン(今はレストランはないようです)近くに毛布を敷いて寝ようと思っていたので

「父さんここに寝てな、俺はレストラン横のスペ-スに毛布敷いて寝るから」

と言ってその場を離れようとしたが

「大丈夫だ二人寝られるだろう」

と父親言ってきた。

どうやら、この場所に一人で寝る事も不安なようだ。

確かに寝られるかも知れないがちょっと窮屈そうだったので考えていると

「私達別な所に場所がとれたのでここ使って下さい」

と一人のご婦人が場所を譲ってくれた。

このご婦人のお陰で二が人寝るには余裕のスペ-スができた。

父は、さも自分の手柄のように笑顔で私を見ているが、そうではない。

いや、場所を譲ってくれたご婦人は父の言動を可哀そうに思っての事だったのかも知れない。

そうだとしたら父のお手柄なのかも知れないと笑いを堪えた。

ご婦人に感謝しつつ就寝。

朝になり私は風呂に入り

「朝食行くよ!」

と父に言うと

船酔いしたらしくぐったりしていた。

乗船から下船まで主役は父だったようだ。

からあげくんは「幸運」をもたらすらしい(笑)

妻がからあげくんを買ってきました。

二人で食べていると

「わあ~焼印が入ってる!!」

と興奮気味に私に見せてきたんです。

私は何を言っているのかわからないまま

「ふ~ん」

と言いながら見つめていると。

「からあげくんに焼印が入っている確率は、ごくわずかなんだよ~」

と言うんです。

そこで調べてみると

・からあげくん妖精(とさかにわとり)の出現確率 1/1000
 ※からあげくんは一袋5つ入りなので、一袋単位で換算すると→200袋につき、ひとつ
・王冠にマントをまとった、からげくん妖精キング(冠にわとり)の出現率 1/4000
 ※一袋単位換算 800袋にひとつ

といいう事で見つけられれば相当な幸運という事のようだ。

ところでこれはどっちだ?

卵焼きと からあげくん

おっ!王冠にマントではないか。

これは相当な幸運なのか?

そもそも私は、この事を知らなかったのだから幸運の対象にはならないかな?

妻にこの事を教えてもらわなければ知らない事だが、楽しいねこういうのは(笑)

婆ちゃんの逆襲

最近、ポロポロと昔の話しが想いだされるのですが、30年程前の話しです。

母親は私の息子である長男が初孫になるのだが溺愛もいいとこだった。

私が子供の時はあんなに厳しかったのに、孫に対してはそれはそれは優しかった。

孫は目に入れても痛くないというが正にその通りだった。

そんな婆ちゃん(ここからは婆ちゃんと呼びます)が、3歳になるかならないかの孫を連れて商業施設へ買い物に行った時に事だ。

婆ちゃんは、ファストフ-ドなんかに一人で行った事もないのに孫にせがまれたので恐る恐る入店して、店員さんに時間をかけて教えてもらいながら何とか注文をして食べたらしい。

孫が喜んで食べている顔を見ているだけで幸せだったのだろう。

食べ終わった二人は店を出てス-パ-の入り口のベンチで休憩をする事にした。

ここで事件が起きた。

孫が隣のベンチに座っているご婦人二人をじっと見つめている事に婆ちゃんは気が付いた。

二人のご婦人は婆ちゃんと同じくらいの年齢。

婆ちゃんが二人のご婦人を見ると乳酸飲料を飲んでいた。

乳酸飲料が大好きだった孫は飲みたくて見つめていたのだ。

婆ちゃんが「飲みたいかい?」と聞こうとした瞬間

「いやだね~この子 じっと見てるよ これは私達のものだよ そんなに見てたら飲みずらいじゃないか~」

と二人のご婦人が孫を見ながら言ってきた。

これを聞いた婆ちゃん『ブッチ~ン!!』と切れちゃいました。

孫の手を取りスーパ-の飲料売り場へ行き5Pの乳酸飲料を買い物かご一杯に買い込み、さっきまで座っていたベンチへ戻ったのです。

そして孫に

「ほら~好きなだけ飲みなさ~い よその人のものなんて欲しいなんて思ってないもんね~」

と言って飲ませたのです。

この光景を見た二人のご婦人。

バツ悪そうに、そそくさと立ち去ったという事だった。

孫と帰ってきた婆ちゃんは、この出来事をドヤ顔で私達夫婦に話してくれた事を想いだした。

ただ一つ反省をしていた事がある。

20分程歩いて商業施設に行った婆ちゃん、当然帰りも歩きである。

袋一杯の乳酸飲料を手に提げて帰ってくるのがちょっと大変だったのでタクシ-で帰ってくるはめになってしまった。

それでも婆ちゃんはスカッとしたようだ。

この時は婆ちゃんの顔をみているだけで幸せな気分になれた(笑)

平和な惚気だから許す(笑)

出勤すると

出がけに夫婦喧嘩をしたと後輩が私に話してきた。

原因は些細な事。

よくある夫婦喧嘩のようだ。

まさに『夫婦喧嘩は犬も食わない』という感じ。

そんな話を聞いて暫くしてから後輩に奥さんからラインで連絡がきたとの事。

そのラインを見せるものですから読んでみると

「今朝は私も言い過ぎました、ごめんなさい。喧嘩をしたままで私の作ったお弁当を食べても美味しくないだろうと思ったのでお昼になる前にラインしました。イライラしないで仕事をして下さいね。」

という文章を見せられた私は

んっ?これはただの惚気?自慢か?

と思いながら

「良い奥さんだな、こんなラインくれるなんて可愛いな~」

笑いながら言った。

これで話しは終わらなかった。

翌日後輩が私のところへやってきて

「喧嘩したままの気分でお弁当食べられても嫌だし、食べる方も美味しくないでしょう!]

と帰ったら妻に言われました~。

と報告するんです。

こりゃ又、惚気られてると思いながら私は

「奥さんは君の一枚も二枚も上手だな 大事にしてあげないと捨てられるぞ~!」

と言っておいた。

私よりも20歳以上若い後輩だが、惚気話を私に話してきたとしか思えないのだが世の中平和だな~と思えた出来事だった。

後輩の奥さんに、彼が悪い時は今度は懲らしめてやったら?とでも言っておこうかな(笑)

依頼主は違ったが・・・

私の母は岩手県出身です。

子供の頃、お正月になると作ってくれたのがクルミ餅だった。

雑煮も作ってくれたのだろうがあまり記憶にはない。

クルミ餅と言っても餅の中にクルミが入っている訳ではありません。

どんなものかというと

①クルミをすり鉢ですり潰す
②だし汁に砂糖(又は三温糖)を入れる
③砂糖を入れただし汁をすり鉢に入れてよく混ぜる
多分こんな感じ(笑)すいません大雑把で。

こうなります

これでクルミだれの出来上がり。

完成品

このクルミだれを餅にかけて食べる。

これがクルミ餅です。

子供の頃はスト-ブの上で焼いた餅にクルミだれをかけて食べていましたが、レンジでチンでもOKですね。

個人的には餅に多少焦げ目がついているのが好みです。

私は子供の頃からクルミ餅をお正月に食べていたので何の疑問を持たずに食べていましたが、妻が初めて食べた時には

「こんなの初めて食べたけど美味しい!」

と言ったのを聞いて北海道ではメジャ-の食べ物ではないのだという事を初めて知った。

このクルミ餅、久しく食べていなかったので二世帯住宅の1階で暮らしている母に仕事先からメールをして

「クルミ餅が食べたいから作ってよ」と連絡すると

「わかったよ👌」と79歳の母から絵文字つきで返信がきた。

早速、クルミと切り餅を買って帰ると

「ありゃ~お前からのメールだったのかい、てっきり(孫娘、私の娘)からの連絡だったと思って
よしっ!これは腕を振るわにゃ~と爺さんと話してたんだわ~」

と大笑いしている。

そんな大笑いしている母の顔を見ながら

「まあそうだよな、息子より孫娘に頼まれた方が力が入るよなと」と思いながら

「誰からのメールかちゃんと確認しないと駄目だよ、詐欺メ-ルもあるからね」

と言いながら材料を渡し無事作ってもらいました。

やっぱり美味いですわ(笑)

被っても良いんです

帰宅して車庫に車を入れてシャッタを閉めていると

「お帰り~」

と妻の声が聞こえた。

パ-トが午後からのシフトだった妻が私と同じ時間に帰ってきたようだ。

家に入ると

「今帰ったばかりだから何も作ってないけど・・・」

と言ってきたので

「そりゃそうだ、俺が何か作るか?ご飯があるならレトルトカレ-でも良いんじゃない?」

と提案すると即可決!

もうかなり昔ですがお正月になると

「おせちも良いけどカレ-もね」というレトルトカレ-のCMが流れていた。

このCM調べると

1976年より年末年始に流れた、ハウス食品「ククレカレ-」のTVCMで出演は当時大人気の女性アイドルグル-プのキャンディーズだった。

このCMの事を考えていたら新婚時代の事を想いだした。

当時私が勤務していた会社には社員食堂があった。

当然安いので社員食堂を利用する頻度が高かったのですが、カレ-とラ-メンを食べる確率が高かったような気がする。いや両方食べていた時が結構あった。

結婚して直ぐの頃は妻が弁当を作ってくれたが弁当が無い時には社員食堂を利用していた。

そんな妻は私に弁当を持たせない日に、夕飯をカレ-にしようと思っている時には出がけに

「今晩カレ-作るから昼はカレ-食べないでね」

と言って私を見送ってくれていた。

帰ってからも

「カレ-食べてないよね~」

と言いながら食卓に並べていた事を懐かしく想いだした。

付き合っている頃から食べていますが妻が作るカレ-は美味しいのです(笑)

惚気ている訳ではありません、正確に言うと私好みに作ってくれるから美味しいのです。

こんな感じで見送られた朝はカレ-以外のものを食べるのですが同じように言われたある日、忘れてカレ-を食べた事がありました。

帰宅して玄関を開けた私は「おっ!カレ-の匂いだ そうだ今日はカレ-って言ってたな~」と思いながら家に入った。

そして風呂に入りテーブルについた。

「ねえ今日は昼に何食べたの~?」

と聞いてきた妻の質問で初めて昼にカレ-を食べた事に気が付いた。

私は

「カレ-食べた でも〇〇(妻)が作るカレ-と社員食堂のカレ-は同じカレ-でも別物だから良いんだ」

と答えた。

本当は忘れただけなのに(笑)

多分妻は納得していなかっただろう。

今考えると「なに格好良い事言ってるんだ、嘘でも良いから違うもの食べたって言えば良いのに」と思いますが、あながち嘘ではないんです。

今でも妻に言います「外で食べるカレ-も美味しいが〇〇(妻)のカレ-は別物だから」と。

ここ迄の内容だと、なんと良い旦那さんなんだろうという事になるかも知れませんが、あっ思ってませんか(;^_^A

妻は重大な事に気が付いたのです。

「この人は同じメニュ-が続いても良い人なんだ~」という事に。

まあその通りなんです。

昼ご飯と夜ご飯が、たまたま被ったって良いんです。

美味しければ何の問題もない。

だってね、昼になにを食べたかなんて妻がわる筈がない!食べたものを報告するのなら別ですがね。

そうか食べたものを電話で報告しておけば良いのか?

いや私はそんな事をするつもりはない、昼ご飯と夜ご飯が被ったとしても妻がつくる料理は別物ですから。

結婚35年目、付き合いを入れると40年目の今

妻は昼に私が何を食べたかなんて気にもしていません。

だって「この人は同じメニュ-が続いても文句を言う事なく食べる人」

と思っていますから・・・(笑)

因みに今でもたま~に昼ご飯と夜ご飯が被る事がありますが何も言わずに食べてます。

あえて言う必要もないですからね・・・。