被っても良いんです

帰宅して車庫に車を入れてシャッタを閉めていると

「お帰り~」

と妻の声が聞こえた。

パ-トが午後からのシフトだった妻が私と同じ時間に帰ってきたようだ。

家に入ると

「今帰ったばかりだから何も作ってないけど・・・」

と言ってきたので

「そりゃそうだ、俺が何か作るか?ご飯があるならレトルトカレ-でも良いんじゃない?」

と提案すると即可決!

もうかなり昔ですがお正月になると

「おせちも良いけどカレ-もね」というレトルトカレ-のCMが流れていた。

このCM調べると

1976年より年末年始に流れた、ハウス食品「ククレカレ-」のTVCMで出演は当時大人気の女性アイドルグル-プのキャンディーズだった。

このCMの事を考えていたら新婚時代の事を想いだした。

当時私が勤務していた会社には社員食堂があった。

当然安いので社員食堂を利用する頻度が高かったのですが、カレ-とラ-メンを食べる確率が高かったような気がする。いや両方食べていた時が結構あった。

結婚して直ぐの頃は妻が弁当を作ってくれたが弁当が無い時には社員食堂を利用していた。

そんな妻は私に弁当を持たせない日に、夕飯をカレ-にしようと思っている時には出がけに

「今晩カレ-作るから昼はカレ-食べないでね」

と言って私を見送ってくれていた。

帰ってからも

「カレ-食べてないよね~」

と言いながら食卓に並べていた事を懐かしく想いだした。

付き合っている頃から食べていますが妻が作るカレ-は美味しいのです(笑)

惚気ている訳ではありません、正確に言うと私好みに作ってくれるから美味しいのです。

こんな感じで見送られた朝はカレ-以外のものを食べるのですが同じように言われたある日、忘れてカレ-を食べた事がありました。

帰宅して玄関を開けた私は「おっ!カレ-の匂いだ そうだ今日はカレ-って言ってたな~」と思いながら家に入った。

そして風呂に入りテーブルについた。

「ねえ今日は昼に何食べたの~?」

と聞いてきた妻の質問で初めて昼にカレ-を食べた事に気が付いた。

私は

「カレ-食べた でも〇〇(妻)が作るカレ-と社員食堂のカレ-は同じカレ-でも別物だから良いんだ」

と答えた。

本当は忘れただけなのに(笑)

多分妻は納得していなかっただろう。

今考えると「なに格好良い事言ってるんだ、嘘でも良いから違うもの食べたって言えば良いのに」と思いますが、あながち嘘ではないんです。

今でも妻に言います「外で食べるカレ-も美味しいが〇〇(妻)のカレ-は別物だから」と。

ここ迄の内容だと、なんと良い旦那さんなんだろうという事になるかも知れませんが、あっ思ってませんか(;^_^A

妻は重大な事に気が付いたのです。

「この人は同じメニュ-が続いても良い人なんだ~」という事に。

まあその通りなんです。

昼ご飯と夜ご飯が、たまたま被ったって良いんです。

美味しければ何の問題もない。

だってね、昼になにを食べたかなんて妻がわる筈がない!食べたものを報告するのなら別ですがね。

そうか食べたものを電話で報告しておけば良いのか?

いや私はそんな事をするつもりはない、昼ご飯と夜ご飯が被ったとしても妻がつくる料理は別物ですから。

結婚35年目、付き合いを入れると40年目の今

妻は昼に私が何を食べたかなんて気にもしていません。

だって「この人は同じメニュ-が続いても文句を言う事なく食べる人」

と思っていますから・・・(笑)

因みに今でもたま~に昼ご飯と夜ご飯が被る事がありますが何も言わずに食べてます。

あえて言う必要もないですからね・・・。

理由はこれだ!母の料理ベスト3 

前回、母の記事を書いた事で思い出した。

母は9人兄弟姉妹の一番上の長女として産まれましたが長女である母だけが母親が違ったのです。

ですから他の8人は腹違いの兄弟姉妹という事になります。

子供の頃、母の家は貧乏だったらしく『腹一杯』にご飯を食べる事はできなかったようです。

9人兄弟姉妹の一番上という事と、一人だけ母親が違うという事もあり我慢をしていたのだという。

因みに9番目の子供は四女なのですが、歳が私の1歳上のお姉さんです。

でもこの人は母の妹になるので叔母になります。

そんな母は中学を卒業すると共に生まれ育った岩手県を離れて北海道へとやってきました。

そして畑作農家に住み込みで働く事になった。

当時16歳の乙女は(母親の事を乙女と書くのは照れますが)

住み込んだ農家で

「沢山食べなさいね」

と言われても恥ずかしくて「おかわり下さい」と言えなかったらしい。

ここでも母は『腹一杯』になる事はできなかったようだ。

3年程働いた頃、お見合いの話しがあった。

相手は今の父です。

貧乏をしていてご飯も『腹一杯』食べる事ができなかった母。

お金持ちの男と結婚をして少しでも贅沢をしたいと思いきや、

「もし結婚するなら貧乏そうな人にしよう。そうすれば貧乏な自分が惨め想いをする事がない」

と考えたらしい。

この想いからの結婚ですから父に対して想いは
・いい男ではない
・心惹かれたものはない
・恋愛感情はない

という感じだったらしい。

母はこの人と結婚をして子供が産まれた。

母親は自分の子供が「おかわり!!」と言った時に、ご飯が無いということだけは言いたくない。

『腹一杯』ご飯を食べさせてあげたいと思っていたらしい。

確かにご飯は沢山食べた記憶がある。

私には1歳下の弟がいるのですが、一時は1日一升の米を炊いていた時もあったようだ。

野球部の私とサッカ-部の弟でしたから。

結婚をしてからの母は、給食センター(学校)・病院の調理場で働いていたのですが、当時の給食センタ-長の勧めで調理師免許を取得した。

調理師免許を取得したからという訳ではないのでしょうが、給食センタ-で働いている時のメニュ-を参考にしたり、TV番組の料理をメモして自分流にアレンジをして料理のレパ-トリ-を増やしたようです。

その中でも私の記憶に残る <料理ベスト3>
1.どんぶり茶碗蒸し
2.ひき肉入り味噌ラーメン
3.スパゲッティ ミートソ-ス
 ※スパゲッティですよ パスタではありません(笑)

ベスト3について解説をさせて頂きます。

1.どんぶり茶碗蒸し
 茶碗蒸しの器は小さい!こんな器の量で『腹一杯』にならない!という事でどんぶりになりました。
 母らしい発想です。
 そもそも茶碗蒸しで『腹一杯』にしようとする人はいませんけどね。  

2.ひき肉入りラーメン
 これは以前ブログに書いた事に関係するのですが、私が中学生の時に30kmの道程を自転車に乗り美味
 しいラーメンを求めて旅に出た事があります。(大袈裟ですね)
 それを知った母は、それじゃあ美味しいラーメンを作ってやろうじゃないかと出来上がったのがこれ
 なんです。     

3.スパゲッティ ミートソ-ス
 給食センタ-のメニュ-にあって初めて知ったらしいのです。
 子供はこういうものを好むのだ思い、自分はあまり好きではなかったらしいのですが、私達が喜んで 
 食べてくれるならと作ってくれた私達の為の料理なんです。

こんな母は今でも12月31日には、どんぶり茶碗蒸しを作ってくれています(笑) 

   

 

贅沢な一人旅

バス停前に小学生と思われる少年が立っていた。

何となく気になったので少し眺めていると斜めがけのショルダ-バックからスマ-トフォンを取り出して話し出した。

大きな声で話し出した少年の声を聞いているとお母さんのようだ

「お母さん 今からバスに乗るからバス停に迎えにきて」

と言って電話を切った。

初めての一人旅なのだろうか?

不安もあるが、きっと楽しいのだろうなと思う反面

無事に帰りなさいよと呟いてしまった。

そんな少年を眺めながら思い出した事があった。

私は小学4年生頃に鼻の調子が悪くなり耳鼻科へ通院しなくてはならなくなった。

バスで30分程のところに評判の良い耳鼻科があったのでそこへ行くことにした。

母親と耳鼻科で診てもらうと暫くは週一回通院するようにと医師の指示があった。

母親は仕事をしていたのだが週一回仕事を休む事が難しかった。

そこで私に言ってきた

「一人で病院へ行ける?」

バスや鉄道に乗る事が好きだった私は即座に

「うん 大丈夫 行ける!」

と返事をした。

嬉しかった。

次の週から私の楽しい一人旅が始まった。

バス代がいくらだったかは憶えていないが、母親はバス代の他に小遣いとして500円をくれた。

このお金は好きに使って良いと言われていたので、バスの一人旅+500円で嬉しさは倍増していた。

当時のバスは車掌さんからワンマンになったばかりの頃だった。

まずバスに乗る時に整理券を取る事が楽しかった。

座席に座るとバスが走り出す。

バスに乗る度に同じ景色の筈なのに何故か見ているだけで楽しい。

こんな楽しい気分でバスに乗っていると目的地が近づいてくる。

私は終点で降りるのだが

「次は終点〇〇〇です」

とアナウンスがあると『次降ります』のボタンを一早く押す。

これが又楽しい。

終点だから押さなくても良いのだが押さずにはいられなかった。

こんな感じで病院へ行き、診察・鼻の吸入をして終了。

後は帰るだけなのだが、この後私には最大のお楽しみがあった。

病院が終わってからバスの時間までは1時間位あったのだが、その時間を利用して食堂に行くのだ。

店の名前は『みどりや食堂』

この食堂へ行き、ラーメンかカレ-ライスを食べる。

時には、ラーメンとカレ-ライスの両方を食べる事もあった。

記憶では

ラーメン(醤油)・・・250円位

カレ-ライス・・・200円位

だったような気がする。

いずれにしても500円あれば両方食べられた。

これが最高に旨かった。

最初に母親と病院へ行った時に、この店に入りラーメンを食べた。

食べながら母親に500円の小遣いでこの店に来ても良いか確認した。

母親は

「好きなように使って良いと言ったからね 良いよ」

と笑いながら言った。

その後店の人に

「この子が一人で食べにくると思いますから宜しくお願いします。お金は持たせますから。」

というような事を言ったような気がする。

当時の私にとっては外食は最高の贅沢だった。

それも一人での外食だ。

何回か通ううちに店の人が私の事を常連扱いしてくれて

「今日はラーメン?カレ-ライス?」

なんて直ぐに聞いてくれるようになった。

そして、どちらを頼んでも大盛にしてくれた。

値段はそのままで。

この後バスに乗って帰宅するのですが、晩御飯は普通に食べてました。

運動好きな私はどれだけ食べても全く太る事はなかったですね~。

今では食べた分だけしっかり体重が増えていきます(;^_^A

今から40数年前の事です。

母親もよく一人で行かせたな~と思います。

携帯電話も無い時代に。

時代ですね・・・。