29年前に亡くなった岩手県に住んでいた母方の祖父が夢にでてきた。
今は大人になって祖父なんて表現していますが、私の爺ちゃんです(笑)
32年前、私が結婚する時に爺ちゃんに招待状を送ったのだが
差出人が発起人代表名で届いた事で
「私からの招待状ではないので行かない」とゴネタらしい。
息子・娘(私の叔父・叔母)達は、説明をして理解をさせるのも面倒なので出席させるのをやめたらしい。
しかし、爺ちゃんの本音は出席したかった筈だ。
私が子供の頃、お盆に遊びに行くと朝から焼酎を飲んでいるアル中のどうしようもない爺ちゃんだった。
しかし、孫の事を可愛がってくれた。
魚釣りや山菜採りに連れて行ってくれたり、爺ちゃんが飼育している馬に乗せてもらった。
そんな楽しい日々はあっという間に過ぎてしまい、やがて帰る日がやってきた。
私は当然、帰るのが嫌で寂しい気持ちだったのだが爺ちゃんはもっと寂しかったようだ。
帰る時には「又来いよ」とだけ言って、外で見送ってくれる事はなかった。
後で叔父が電話で教えてくれたのだが
爺ちゃんは私達が帰った後、寂しそうに背中を丸めて何も言わずに黙って焼酎を飲んでいたそうだ。
多分、見送りに出ると泣いてしまうから外に出なかったのだろう。
爺ちゃんが入院をして「もう長くない」と連絡が入ったのは、私が結婚して4年目の春の事で、もうすぐ3歳になる息子と、10月に出産予定の娘が妻のお腹の中にいた。
私はアル中の爺ちゃんが大好きだった。
息子を連れて見舞いに行く事ができなかったので、爺ちゃんにとって「初ひ孫」である息子の写真を持ってフェリ-で岩手の病院へ向かった。
病室へ行くと爺ちゃんは髭面でベットに横になっていた。
私が顔を出すと、辛い筈なのに笑顔で迎えてくれた。
私は直ぐに
「爺ちゃん俺の息子だよ」
と写真を見せると満面の笑みで写真を見つめていた。
私は複雑な気持で爺ちゃんを見ていた。
それから2週間程で爺ちゃんは亡くなった。
夢の中の爺ちゃんは笑っているだけで何も言わなかった。
その顔は、息子の写真を見せた時の笑顔と同じだったような気がする。
コロナ禍の中で「感染防止対策をして元気でやれよ」「ひ孫(息子)は元気か?」とでも言いたかったのだろうか。
私は、知らず知らずのうちに爺ちゃんの事を考えていたのだろうか・・・。