血の繋がった親子

3ヶ月に1~2回 母親の病院。

2週間毎に父親の病院。

こんな感じで両親を病院へ連れて行っている。

母親は10年以上前に患った「くも膜下出血」と、昨年発症した「特発性間質性肺炎」の経過観察の為の通院。

父親は多分「後鼻漏」で耳鼻科に通院。

この多分というのは

私の父親というのは、会話が成立しないのでハッキリわからない。

父親は質問してきた事に私が答えると

「そうだ そうなんだ」と

さも知っているように返事をする。

知らないから質問してきたんだろう!!

と私は思っているが何も言わない。

そうかと思えば質問してきた事に答えていると

途中で被せるように話しをしてくるので会話にならない。

以上の事は今に始まった事ではない。

私がまだ若い時は腹が立ったので

「黙って聞け!!あんたが聞いてきたんだろう!!知ったかぶりするな!!」と

まくし立てたものだが今はしない。

そんな事を言っても理解できる人ではない事を私は知っているからだ。

今は、もめ事が良い結果を生む事はないだろうと思っている。

もめごと、怒る事で認知症が進む事もあるのではないかと思っている。

認知症と言っているが、病院で診断を受けたわけではない。

ただ、毎日会話をしていると、それらしい兆候が垣間見えてきたような気がする。

父親を車に乗せると、毎回同じ話しをしている。

それも何度も。

こちらから聞きもしないのに、病院の待ち時間、院長、看護師等の事を説明する。

帰路の車中(1時間程度)で4~5回程。

母親が一緒に乗っている時は

「あんたうるさいって!さっきも聞いた!誰もそんな事聞いてない!」

なんて怒る。

そんな母親も似たような事がある(笑)

昔 TVを見て話しかける人は認知症になる可能性がある。

と聞いた事がある。

話しかけても応答がないものだからだそうだ。

父親はドンピシャである。

大声で話しかけて大声で笑っている。

父親一人の時に。

母親の診察には私も同席する。

脳外科の医師は、ほぼ私をみて話しをする。

「どうですか?変わりないですか?」

呼吸器の医師は、最初は母親に聞くが私にも確認をする。

診察が終わった母は

「お前が一緒にきてくれるから良いわ~ 私は何も言わなくて良い気がする」

と笑っている。

「身体の状態は本人じゃないとわからないから何かあったら言わないと駄目だよ」

と私は言うのだが

「いやあ~ 変わった事言ったら又入院しなさいと言われた嫌だから何も言わない!」

と言う。

これはこれで困ったものだ。

これは私の仕事だ いや 役目だ。

この状況を妻に話して笑ったり、怒ったりしている。

私は父親に似ていなくて良かったと思っているし、周囲からも言われた事がない。

しかしある時妻が

「少しだけど似ているところもあるよ」

と言った。

血が繋がっているからな・・・と思ったが

少しショックだった。

まあ仕方がないな

血が繋がっているからな。

重なったイベント

厄年はとうに終わっているのに色々な事が今日まであった。

2月に入り、ある会社から誘いの話しがあった。

今年で58歳になる私は今更転職なんて考えてもいなかったが

定年無、70歳まででも働いて欲しいという言葉を頂いて転職を決意。

4月から転職をする事になり準備をしていると、娘から連絡があった。

一昨年結婚をしたのだが、旦那が4月1日付で東京に転勤する事になったという。

娘の旦那は全国転勤がある職業だったので覚悟はしていたが、いざ転勤が決まると寂しさがあった。

娘も正社員で仕事をしていたので、引き継ぎをして8月末まで勤務。

9月に転居する事になった。

この二つの事が2月に起きた。

翌月中旬に同居している母親の調子が悪くなった。

息苦しいというのだ。

このご時世、調子が悪くても直ぐに病院へいく事はできない。

電話で母親の状態を説明した。

熱も高くなくコロナの症状ではないようなので、来院するようにと看護師から指示がでた。

早速連れていくと、医師から即入院と告げられた。

病名は「特発性間質性肺炎」という事で、正常値の血中酸素濃度は「96~99%」だという事だが母親は

「89%」だった。

難病という事。

特定医療費(指定難病)受給者証、特定疾患医療受給者証の認定(交付)申請手続きを行った。

入院時医師からは

「完治はないです。まずはこの治療(治療方法の書いた用紙をもらった)をやってみますが、効果があるかはわからない。まずは最低3ヶ月は入院生活になると思って下さい。退院できたとしても酸素ボンベが必要になる可能性もあります。」

という言葉だった。

この言葉を聞いて長い入院生活になるだろうと覚悟するしかなかった。

入院中は面会をする事ができない為、洗濯物等は病院の受付等を介して受渡をしていた。

洗濯は妻にやってもらった いや やって頂いた(笑)

この母親が入院して4日程経った18時過ぎに担当医師から私の携帯に電話が入った。

何事かと思い電話にでると

「看護師から連絡があったのですが、今日お孫さん(私の息子)が病院へお菓子を持っていらしたらしいのです。
受付に言った名前は私の孫ですから、そのお菓子を渡して下さいとお母さんが言うのですけれど、今回の投薬は血糖値が上昇するので病院食以外は口にできないのです。ですから次回お母さんのお荷物の引き取りに来られた時にお持ち帰り下さい。お母さんにはご説明しましたので。」

というものだった。

確かに入院時の説明で私は聞いていた。

まさか息子がお菓子を差し入れるとは思ってもみなかったので治療についての詳しい説明はしていなかった。

担当医師からの電話を切った私は、一人 笑っていた。

良いところあるな息子よ。

翌日、母親と携帯電話で話しをする事だできたので息子が持って行ったお菓子の事を言うと

「そうなんだわ~ 孫がせっかく持ってきてくれたから渡して欲しいとお願いしたんだ。食べないで置いていおくだけだからとお願いしたんだけど駄目だった。

と言うのだ。

ここでも私は笑ってしまった。

「帰って来るまでとっておくから、先生と看護師さんのいう事きいて早く良くなってくれ!」

そう言って電話を切った。

母親は幸い1ヶ月半程で退院してきた。

朝御飯に何を食べたかを思い出せない事があるのに、孫からのお菓子の事はしっかり覚えていた。

病状が良くなったのは孫(息子)のおかげかも知れない。

その後、母親の退院一週間も経たないうちに義母が入院をした。

病名は脳梗塞だった。

幸い症状は軽かったのだが入院は必要だった。

この入院だが、何の因果か私の母親が入院した病院へ入れ替わりのように入ったのだ。

こんな事がありながら私は4月から新しい職場。

適当?いい加減?臨機応変?なのかわからないが、それなりに仕事をしております。

この歳での転職は私にとって人生最大のイベントだと思っていたのですが違いましたね~(笑)

二人とも無事退院しましたから言える事ですが

私から余計な力みを取り去って仕事をさせてくれたのかも知れません。

こんな感じで月日は流れ娘が転居する9月1日がやってきました。

空港へ妻と見送りに。

友達は数名見送りに来てくれていました。

妻は涙もろい。

娘も私も覚悟していた。

家族写真・友達と一緒にに写真を撮ったりしていると出発時間30分前。

「そじゃあ行くね~」

と娘が手を振り検査場へ歩き出した。

友達も皆

「じゃあね~」

と手を振っている。

妻は・・・

「涙に声を詰まらせながら手を振っている」

妻には何度も自分たちに言い聞かせるように言ってきた

「旦那は全国転勤があるのだからいずれは北海道からいなくなる。それは仕方がない事。旦那には娘を大事にしてくれと俺は頼んだ。どこに行っても大事にしてくれるから大丈夫だ」

まあ実際は自分に言い聞かせて寂しさを紛らわせているだけ?かも知れませんが。

娘が保安検査場へと消えて行った後、妻と二人で展望デッキへ行き娘が乗った飛行機を両手を振りながら見送った。

娘には見えるはずもないのに・・・。