貧乏と文化鍋

子供の頃 我が家は多分裕福ではなかった。

というより貧乏だった。

ただその頃の私は貧乏だとは思っていなかった。

いや貧乏がどういうものかを知らなかった。

ある夏の暑い日、母親が半ズボンを出してくれた。

私は出されたものを履いて外へ遊びに行った。

友達と汗を流して遊んでいると

「おまえチャック開いてるぞ恥ずかし~」

と馬鹿にされた。

私は何を言われているのかわからなかった。

前が開いているのが普通だと思っていたからだ。

私の半ズボンは誰かのお下がりだったらしいのだがチャックが壊れていた。

母親はまだ小学生になる前の子供だから関係ないと思っていたらしい。

長ズボンは膝にアップリケが縫い付けてある。

穴が開いているからだ。

それでもその頃は何の疑問を抱いた事はなかった。

「喉が渇いた ジュ-スが飲みたい」とせがむと

「水に砂糖を入れて飲みなさい」な~んて言われた事もありました。

当時 粉末ジュ-スというものがあったような気がする。

それを水で溶いて飲む。

それなりに美味しかった。

こんな生活を送っていた幼少期の私は鍵っ子だった。

一つ下の弟と二人で留守番をしていた。

当時の私は母親の役に立ちたいと思っていたのだろう。

なにかを手伝いたいと思った。

そこで私は御飯を炊く事を母親に提案した。

現代であれば何の問題もない事だがこの時代は文化鍋だった。

そして私は5歳くらい。

昔だからでしょうか 母親はOKしたのです。

5歳の子供が火を使い文化鍋で御飯を炊く。

今じゃNGですよね。

母親のOKをもらった私は茶碗で米を文化鍋に入れ米を研いだ 水が透明になるまで。

そして文化鍋に手を入れてくるぶしまで水を入れ計量OK。

ガスコンロの上に文化鍋を置き着火!

何分かは忘れましたが、鍋の蓋がカタカタとなってきたら弱火にする。

こんな感じだったと思う。

御飯は炊きあがった。

鍋の底には、おこげができた。

仕事から帰ってきた母親は褒めてくれたような記憶がある。

自分で炊いた御飯は格別だった。

特におこげは旨かった~。

今はボタンを押すと御飯がたける

それも指定した時間に。

昔じゃ考えられない。

今 文化鍋で御飯を炊く事ができるだろうか?

やってみたい・・・。

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