「Be yourself; Everyone else is already taken. (自分らしくあれ。誰かの役になろうとしても、そこはすでに埋まっているのだから)」
オスカー・ワイルド
これは私の最新ブログでの初投稿です。この新たなブログはまだ立ち上げたばかりです。これから充実させていきますのでぜひご注目を。以下で購読をお申し込みいただくと、新しいブログ投稿があったときに通知をお受け取りいただけます。
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3ヶ月に1~2回 母親の病院。
2週間毎に父親の病院。
こんな感じで両親を病院へ連れて行っている。
母親は10年以上前に患った「くも膜下出血」と、昨年発症した「特発性間質性肺炎」の経過観察の為の通院。
父親は多分「後鼻漏」で耳鼻科に通院。
この多分というのは
私の父親というのは、会話が成立しないのでハッキリわからない。
父親は質問してきた事に私が答えると
「そうだ そうなんだ」と
さも知っているように返事をする。
知らないから質問してきたんだろう!!
と私は思っているが何も言わない。
そうかと思えば質問してきた事に答えていると
途中で被せるように話しをしてくるので会話にならない。
以上の事は今に始まった事ではない。
私がまだ若い時は腹が立ったので
「黙って聞け!!あんたが聞いてきたんだろう!!知ったかぶりするな!!」と
まくし立てたものだが今はしない。
そんな事を言っても理解できる人ではない事を私は知っているからだ。
今は、もめ事が良い結果を生む事はないだろうと思っている。
もめごと、怒る事で認知症が進む事もあるのではないかと思っている。
認知症と言っているが、病院で診断を受けたわけではない。
ただ、毎日会話をしていると、それらしい兆候が垣間見えてきたような気がする。
父親を車に乗せると、毎回同じ話しをしている。
それも何度も。
こちらから聞きもしないのに、病院の待ち時間、院長、看護師等の事を説明する。
帰路の車中(1時間程度)で4~5回程。
母親が一緒に乗っている時は
「あんたうるさいって!さっきも聞いた!誰もそんな事聞いてない!」
なんて怒る。
そんな母親も似たような事がある(笑)
昔 TVを見て話しかける人は認知症になる可能性がある。
と聞いた事がある。
話しかけても応答がないものだからだそうだ。
父親はドンピシャである。
大声で話しかけて大声で笑っている。
父親一人の時に。
母親の診察には私も同席する。
脳外科の医師は、ほぼ私をみて話しをする。
「どうですか?変わりないですか?」
呼吸器の医師は、最初は母親に聞くが私にも確認をする。
診察が終わった母は
「お前が一緒にきてくれるから良いわ~ 私は何も言わなくて良い気がする」
と笑っている。
「身体の状態は本人じゃないとわからないから何かあったら言わないと駄目だよ」
と私は言うのだが
「いやあ~ 変わった事言ったら又入院しなさいと言われた嫌だから何も言わない!」
と言う。
これはこれで困ったものだ。
これは私の仕事だ いや 役目だ。
この状況を妻に話して笑ったり、怒ったりしている。
私は父親に似ていなくて良かったと思っているし、周囲からも言われた事がない。
しかしある時妻が
「少しだけど似ているところもあるよ」
と言った。
血が繋がっているからな・・・と思ったが
少しショックだった。
まあ仕方がないな
血が繋がっているからな。
雪で濡れた手をフリ-スで拭いた私。
この話を妻に笑いながら話した。
「へ~ 貴方はそういうところもあるし潔癖そうに見えるところもある不思議なところがあるよね~」
と言った。
私は
「そうか~?」
と笑っていると
「独身の時にはハンカチや翌日に忘れてはならないものはデーブルに用意していたよね
今ハンカチは私が用意してあげてるけどね」
「それと、忘れたときの為に鞄にハンカチの予備も入れてるよね」
「スーツだって・・・」
とまだ言いたい事がありそうな妻を制止して
「人間 完璧?じゃないから良いんじゃないか~」
と冗談っぽく返した。
妻は
「あなたの事をそんなふうに思った事ことないわよ~(笑)」
とあきれ顔だった。
今年結婚35年目。
恋愛・新婚時代は良くても、いや我慢できても
長年連れ添っていると、現実を冷静にジャッジされるんですよね。
「あなたには疲れました・・・」
と言われる日が来ないようにしないとな(-_-;)
雪の降る街は寒い。
しばれる!!
昨晩から少し雪が降っていたので翌日は積もっているのだろうと思いながら就寝。
するとその事が気になったのか深夜1時30分頃に目が覚めてしまった。
目覚ましは3時にセットしてたのに。
二度寝しようと思っても寝付けないので外へ出て雪かきを始めた。
それ程多く積もっていなかったので1時間30分位で終わった。
時計を見ると4時少し前。
この分だと会社も積雪があり除雪をしないとならないだろうからと思いシャワ-を浴びて
4時30分頃家に家を出た。
コンビニへより温かいコーヒ-と胡麻麦茶を買い(ちょっと血圧が気になりだしたもので(-_-;))
会社へと向かった。
途中、車のリアワイパ-のスイッチを入れたのだが動かない。
あ~ ワイパ-周りに雪が残っていて動かないんだ~
と思った私は直ぐに車を止めて雪を取り除きワイパ-を動かす事に成功した。
よしっ!と車に乗り込みハンドルを握ろうとすると、手が濡れている。
当たり前だ雪を触ったのだから。
その時、私が咄嗟にとった行動は
着ていたフリ-スで手を拭いたのです。
手を拭きながら私は一人車の中で
「子供かっ!!」
笑いながら叫び、まだ日が昇らない街を走り出した。
現在 59歳 妻一人 30を過ぎた子供が二人。
こんな大人が・・・。
しかし、こんな事を思いながら童心に帰ったような楽しい時間だった。
でもね会社に着いてから思ったのです。
ズボンの後ろのポケットにはハンカチも入ってるし、車にはタオルも常備してるのにな~。
だから男はいつまでも子供だって言われるんだな(笑)
誤解されては困りますが、世の男性が皆そうではありませんので・・・。
私は二世帯住宅に住んでいる。
1階には私の両親、2階には私達夫婦と息子。
それと1階と2階を自由に行き来する猫がいる。
ある日、仕事を終えて帰宅した私はいつものよう1階へ顔を出し
「ただいま」と言おうとすると
居間が異常なほど散らかっている。
まるで泥棒にでも入られたような光景だ。
ソファ-には母親が顔をしかめたようにして横になっている。
これは何があった?と思った私は
「どうした!?なにかあったのか?」
と母親に声をかけた。
直ぐには返事がなく何度も声をかえてやっと返事が返ってきた。
「あ~お帰り 今何時?」
となんとも呑気な返事。
居間の状況を聞くと
「あら~ 〇〇(猫)だね~」
「なんかね~ 寝てたらね~ 起きろって 顔に手を押し当てたりしてきたんだけど眠いからかまわなったのさ~
そしたら2階へ行ったりこっちに来たり走り回ってたのさ~」
なるほど、我が家の猫の仕業だったのか。
このやりとりをしていると、私の声に気付いたのか
「にゃ~」
っと少しかすれた声で我が家の猫がやってきた。
「お前ね~ なにがあったのかと思ったべや~(北海道弁です)」
と言いながらほっとした瞬間だった。
因みに母親すっぴすっぴしかめっ面に見えたのは、スッピンがそのように見えたようだ。
気にするので母親には言わなかったが・・・。
タイトルは、笑点に出演している 林家 たい平さんの「新 なにかあったのか劇場」を真似してみました(笑)
私の朝は早い。
特に雪の降るこの季節はもの凄く早い(笑)
ちょっと言い過ぎですね 世の中にはもっともっと早い人が居る筈なので。
雪の降らない 春・夏・秋は、4時30分頃起きる。
本当は5時に目覚ましをセットしているのだが何故か30分も前に目覚めてしまう。
若い頃は目覚ましが鳴ってから起床!!
というパタ-ンだったのだが今は違う・・・。
年齢とともに・・・(笑)
私の朝は(春・夏・秋)
①4時30分起床
②歯磨き
③シャワ-
シャワ-を浴びて居間へ行くと飼い猫が腹が空いた?と「にゃ~」と鳴くので
④猫の食事の用意 と言ってもキャットフードを茶碗に入れるだけ
⑤ドライヤ-をかけたり身支度
⑥自分の食事を適当に作り朝食(気が向いたら 息子の弁当作り)
⑦新聞を斜め読み(残りは会社へ行ってから)
⑧寝室へ行って妻の寝顔確認
妻はパートをしているのですが、シフトが遅い時は寝ていろ!
子供たちに弁当を作る事もなくなった今、朝が早い私の事は構わなくてよいと言ってあるのです。
何もしていない妻だと誤解されないように一言添えておきます(笑)
⑨1階の両親の生存確認(笑)
⑩6時~6時15分 出勤
と まあこんな感じなのですが、冬になり降雪があると2時30分~3時に起きなくてならない。
こうなると一日が長いのです。
ただ不思議と日中に眠くなることは、ほぼありません。
平均して18時30分~19時頃に帰宅をして夕食。
最近はその後ソファ-でテレビを見ているのですが、必ずうたた寝をしています。
前段の記述は、「うたた寝が何故おこるか」の原因を言い訳がましく説明してみました(笑)
妻は私がソファ-へ座ると いや横になると
「また直ぐに寝るんでしょう?布団へ行ったら?」
と言ってきた事があります。
私はその返事を
「何言ってるんだ 今寝室へ行っても俺一人だろう ここでお前と同じ空間でうたた寝をしている時間が俺にとっては幸せなんだよ」
と真顔で言い放った。
「はいはい 良くそんな言葉がすぐにでたわね~」
と笑顔で流し台へいって茶碗洗いを始めた。
おっ!?この反応は?
ソファ-で自然に寝ている(今は寝落ちというんですかね)のは事実ですが
言い放った言葉には少しだけ、ほんの少しだけ真実がある。
しか~し!!
妻は起こすのが面倒なのも知っている・・・(笑)
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
取引先の運送会社の話しです。
12月31日に聞いた事を新年のブログに綴るのもどうかという内容ですが・・・。
1年程前に28歳の男性ドライバ-として採用したそうです。
明るく体力もあり安全運転で良い社員との事。
ただ一つ問題があって・・・と愚痴をこぼし始めた。
この問題なんですが聞いてびっくり。
まるでテレビドラマか小説の中の事かと思いました。
この社員、連絡事項があっても携帯電話がほぼ繋がらないとい事。
何故?と聞くと。
奥さんが異常に嫉妬深く夫の行動を常に監視をしている。
電話は奥さんと常に繋ぎっぱなしの状態なんだそうだ。
時々着信を確認するらしく電話を入れると暫くしてから連絡があるという事。
何度か注意をしてやっと良くなったと思ったら奥さんが毎日送迎をするようになった。
送迎をする事は何の問題はないのですが、車庫に戻ってくる途中のコンビニの駐車場でトラックの助手席に奥さんが乗り込んで休憩しているらしい。
そんなもんだから、車庫に戻ってくる時には夫が運転するトラックの後ろをピッタリとついて帰ってくる。
とまあこんな感じである。
この夫婦決して新婚ではない。
結婚5年目位で子供も二人いる。
これが今時の夫婦なのか?
今時の愛情表現なのか?
いやいや違うでしょう。
と思うのは私だけでしょうか?
私事ですが
私達夫婦は今年35年を迎えます。
35年・・・色々ありました。
これからも色々あるでしょう。
色々あって平凡じゃないから夫婦は楽しいのかもしれません。
この先も夫婦楽しくやっていこうと思います。
私は妻に対してそれなりに愛情もあります。
妻はわかりませんが(笑)
10年程家電売り場で販売員をしていた事があります。
接客マナ-を学び、日々商品の勉強をしていました。
ただ勉強の中で一つ苦手?というか大嫌いだった事があります。
ロ-ルプレ-イングです。
新人の頃は接客技術を身に着ける為に先輩社員が客という設定で営業終わりに毎日やるんです。
もう最悪でした。
こんな事毎日やるんだったら辞めてやろう!と毎日思っていました。
客役をやる先輩の中には
「これ〇〇〇〇円にしてくれ!そうしないと買わないわ!」
といや~な客に扮してくる人もいました。
新人はどうして良いかわからずここでロ-ルプレイングはストップします。
「この商品はこれだけの価値があると説明ができていないから値切られるんだ」
と、このいや~な客に扮した先輩がアドバイスしてくるのですが
当時の私は返す言葉はありませんでしたが心の中で
『確かに商品知識はない。しかし価値を説明しても値切る人は値切るよな~』
とあまり納得していませんでした。
その日から私は、毎日帰ってから商品の勉強をしてロ-ルプレイング研修があれば進んで参加をしました。
アドバイスをされた先輩が好きになれず接客技術で追い越してやろうと思ったからです。
精進するきっかけは不純でしたがこの事で私の接客技術は向上しました。
全体ロ-ルプレイングというものが年に数回あったのですが、フロア-全体の従業員(約100人位かな?)が見守る中、販売員をやった事がありました。今でも覚えていますが客に扮したのは、そのフロア-の部長でした
・待機姿勢・・・手は左前に軽く組む 決して後ろで組まない 休めの姿勢はNG
・アプロ-チ・・・商品を見ているお客さまに自然な笑顔で声をかける
客とのコミュニケ-ションをはかる
・ニーズチェック・・・客が欲しいものを確認 用途・色・メーカ-(ブランド)・価格(予算)等
・商品提案・・・客が必要としているもの
・クロ-ジング・・・希望に一番近いものをすすめる 「買って下さい」って事ですね
実際にはこの後
・会計 お見送り となりますが ロ-ルプレイングではクロ-ジングまででした。
こんな感じでやったと思うのですが
「今日は見るだけにしようと思ったけれど買う事にする・・・」
という流れになり終了した。
ロ-ルプレイング総評は良く、当時の私は心の中でドヤ顔状態でした。
決して自慢ではありません(笑)
いや~な先輩に感謝です。
因みに最後まで好きにはなれませんでした(笑)(笑)(笑)
ただ私は商品を見ている時にはあまり店員さんに声をかけられるのは好きじゃなかったですけどね(笑)
何故こんな事を(30年以上前の事)を思い出したかというと
全ての店ではないのですが、たま~に いや時々
この販売員さんは接客指導を受けた事あるのかな??
ここのオーナ-さん、上司は教育したのかな??
なんて思う事が多くなり、つい昔の事を思い出した。
まあ私が思っているだけですけどね・・・。
昔の部下と飲みに行った時の事。
10年程前に仕事で苦労をした時の話題になった。
詳しい事は省略するが、イレギュラ-が発生して毎日22時頃まで仕事をしていた。
一応管理職だった私は、普段は担当業務を持っていなかったのだが
この時は客先へ毎日出勤し業務を手伝っていた。
客先での業務終了後、19時頃に事務所へ戻ると部下たちはまだ仕事をしていた。
イレギュラ-が発生しながらの業務な事もあり通常業務が手薄になりクレ-ムが発生していた。
その処理は私がするのだが、この事態なのだから仕方がないと思っていた。
それよりも誰も文句も言わずに仕事をしてくれていた事に感謝をしていた。
そんな時、本社の役員が21時過ぎにやってきてきてミーティングをすると言ってきた。
私は、私を含め部下たちに労いの言葉でもかけてくれるのか?と思っていたのだが
急に部下たちに向かって
「なんだこのクレ-ムの嵐は!!毎日本社に電話がきている!どうなっているんだ!!」
と言ってきた。
私はその言葉を聞いて
「この現場にいない奴が偉そうな事言うな!!皆がどんな気持ちで仕事をしていると思ってるんだ!文句が言いたいのなら一日中ここに居て状況を確認してからにしろ!!」
と言い放ってしまった。
こう言ってしまった事を水に流して欲しいわけではない。
私はこの後に
「こんなくだらないミーティングは時間の無駄だ皆帰るぞ!」
と立ち上がった。
するとメンバ-の一人が丁度私の行く手を阻むような形で私の前にいたものだから、瞬間湯沸器状態の私は制御が効かず
「どけ!!帰るぞ!!」
と言ってしまった。
この「どけ!!」と言われた張本人と一緒に飲んでいたのだ。
私が会社を出た直後にミーティングはフェードアウトしたようだが、役員は何も言わずに帰ったそうだ。
この事を飲みながら言われた時には
「もう忘れろよ~ 水に流してくれ!」
と言ったのだが
「いや~あの時は怖かったですね~ でも悪い想い出ではないから水には流せないですかね~」
と笑っていた。
私はすっかり忘れていた事だったのに・・・(笑)(笑)(笑)
ネット記事を読んでいると「傍若無人」という言葉が目に留まった。
あ~ うちにもいるな~
なんて思いながら読んでいた。
母親と二人で出かけて一緒に帰ってきたにもかかわらず、玄関の扉を開けて自分が入ったら勢いよく扉を閉める。
冬のある寒い日に茶の間で母親と二人で過ごしていたいたはずなのに、自分が出かける時にはスト-ブを消して出かける。
てな感じです(笑)
おわかりになったとは思いますが私の父親です。
子供の頃から私は父親の事は嫌いでした。
今でも好きではありません。
父親は「電気をつけたら消しなさい!」「家に入ったら玄関の鍵はかけなさい!」
等々、私達子供に注意、いや怒っていたが自分は何一つできていなかった。
二世帯で同居してからは、二階の私達が22時頃にシャワ-を使うと「うるさくて寝られない」と言ってきたらしい。
しかし父は、夜中にトイレに起きては、扉を勢いよく閉めるものだから二階に居る私達は目が覚めてしまう。
こんな父親にこれ以上面倒をみてもらいたくない!と思った私は高校を卒業したら就職をして家を出る!そう決めて家を出た。
しかし、23歳で結婚をして長男・長女が産まれて数年した時に同居する事になった。
妻には結婚前に、いずれは両親と同居をする事の承諾をもらっていたのだが当の私は同居するのは嫌だった。
しかし長男である私は使命感のようなものがあった。
同居して27年、こんな傍若無人の父親と生活すると腹の立つ事が数多くありました。
時には大喧嘩になり娘が仲裁に入った事もあります。
自分が言っている事が一番正しい、人の意見を聞かない人なんです。
今年85歳になるの父親。
数年前に自動車免許の返納を優しくお願いした。
すると
「じゃあタクシ-代くれ!おれは病院にも行かなくてはならない。お金がかかる!」
と言ってきた。
私は唖然とした。
田舎町だが一応、公共の交通機関を利用して通院をする事が可能だ。
父は自動車免許を取得した年齢が遅かった事もあるのか運転に不安があった。
そこにきて高齢になってきたものだから尚更だった。
現に、オートシャッタ-の扉が開き切る前に車を動かして3.4回シャッタ-を破損させている。
この事を追求すると
「あれはシャッタ-の調子が悪くて、開いたシャッタ-が誤動作で下がって来たんだ!」
という。
ブレ-キとアクセルを踏み間違えて という事故が高齢者で多いと話すと。
「あれは時々しか運転しないから起こる事。いつも運転している自分は大丈夫」
な~んて言う始末。
単独事故で済めば良いが、人を巻き込んだ事故を起こしたら大変だからさと、もう私の怒りはMAX状態ではあったが堪えて言うと
「俺が入っている保険は何があっても全て補償してくれる、誰にも迷惑はかからない!!」
この言葉を聞いて私は堪忍袋の緒が切れた!!
「何言ってるんだ!!もし被害にあった人が亡くなったらそれでは済まないんだよ。お金だけの問題ではない!人の命だぞ!同居している人間にだって迷惑がかかる!!俺だけならまだしも、妻にも子供達にも!!」
私は外に聞こえているのではないかというくらいの声で怒鳴ったらしい。
二階で蒼ざめた顔で立っていた妻にそう言われた。
この後、何度も説得をした。
皆が心配している。病院へは私が連れていくから大丈夫。
こう言って今年の7月に車をやっと処分した。
私が怒鳴り散らした後は月に一度程運転するくらいのようだったが心配だった。
自分で思っていた以上にストレスを感じていたようで、父が車を処分した日からは言葉では言い表せない爽快な気分だった。
この事に比べれば仕事のストレスなんて・・・(笑)
こんな事もありながらですが、歳月と共に私も成長してきた?のか沸点に変化がでてきました。
と言うより考え方に変化してきました。
父親の人間性は変わる事はないので、病院に連れていく車中の会話は腹の立つ事が多い。
以前の私なら怒っていたのでしょうが、今は黙って聞いて「そうなんだ」と相槌のみ。
私は車を手放してくれた事を感謝?
それと今でも好きではないが私の父親だからな~と思っているからです。
ただ言える事は「傍若無人」は良くないですね・・・。
厄年はとうに終わっているのに色々な事が今日まであった。
2月に入り、ある会社から誘いの話しがあった。
今年で58歳になる私は今更転職なんて考えてもいなかったが
定年無、70歳まででも働いて欲しいという言葉を頂いて転職を決意。
4月から転職をする事になり準備をしていると、娘から連絡があった。
一昨年結婚をしたのだが、旦那が4月1日付で東京に転勤する事になったという。
娘の旦那は全国転勤がある職業だったので覚悟はしていたが、いざ転勤が決まると寂しさがあった。
娘も正社員で仕事をしていたので、引き継ぎをして8月末まで勤務。
9月に転居する事になった。
この二つの事が2月に起きた。
翌月中旬に同居している母親の調子が悪くなった。
息苦しいというのだ。
このご時世、調子が悪くても直ぐに病院へいく事はできない。
電話で母親の状態を説明した。
熱も高くなくコロナの症状ではないようなので、来院するようにと看護師から指示がでた。
早速連れていくと、医師から即入院と告げられた。
病名は「特発性間質性肺炎」という事で、正常値の血中酸素濃度は「96~99%」だという事だが母親は
「89%」だった。
難病という事。
特定医療費(指定難病)受給者証、特定疾患医療受給者証の認定(交付)申請手続きを行った。
入院時医師からは
「完治はないです。まずはこの治療(治療方法の書いた用紙をもらった)をやってみますが、効果があるかはわからない。まずは最低3ヶ月は入院生活になると思って下さい。退院できたとしても酸素ボンベが必要になる可能性もあります。」
という言葉だった。
この言葉を聞いて長い入院生活になるだろうと覚悟するしかなかった。
入院中は面会をする事ができない為、洗濯物等は病院の受付等を介して受渡をしていた。
洗濯は妻にやってもらった いや やって頂いた(笑)
この母親が入院して4日程経った18時過ぎに担当医師から私の携帯に電話が入った。
何事かと思い電話にでると
「看護師から連絡があったのですが、今日お孫さん(私の息子)が病院へお菓子を持っていらしたらしいのです。
受付に言った名前は私の孫ですから、そのお菓子を渡して下さいとお母さんが言うのですけれど、今回の投薬は血糖値が上昇するので病院食以外は口にできないのです。ですから次回お母さんのお荷物の引き取りに来られた時にお持ち帰り下さい。お母さんにはご説明しましたので。」
というものだった。
確かに入院時の説明で私は聞いていた。
まさか息子がお菓子を差し入れるとは思ってもみなかったので治療についての詳しい説明はしていなかった。
担当医師からの電話を切った私は、一人 笑っていた。
良いところあるな息子よ。
翌日、母親と携帯電話で話しをする事だできたので息子が持って行ったお菓子の事を言うと
「そうなんだわ~ 孫がせっかく持ってきてくれたから渡して欲しいとお願いしたんだ。食べないで置いていおくだけだからとお願いしたんだけど駄目だった。
と言うのだ。
ここでも私は笑ってしまった。
「帰って来るまでとっておくから、先生と看護師さんのいう事きいて早く良くなってくれ!」
そう言って電話を切った。
母親は幸い1ヶ月半程で退院してきた。
朝御飯に何を食べたかを思い出せない事があるのに、孫からのお菓子の事はしっかり覚えていた。
病状が良くなったのは孫(息子)のおかげかも知れない。
その後、母親の退院一週間も経たないうちに義母が入院をした。
病名は脳梗塞だった。
幸い症状は軽かったのだが入院は必要だった。
この入院だが、何の因果か私の母親が入院した病院へ入れ替わりのように入ったのだ。
こんな事がありながら私は4月から新しい職場。
適当?いい加減?臨機応変?なのかわからないが、それなりに仕事をしております。
この歳での転職は私にとって人生最大のイベントだと思っていたのですが違いましたね~(笑)
二人とも無事退院しましたから言える事ですが
私から余計な力みを取り去って仕事をさせてくれたのかも知れません。
こんな感じで月日は流れ娘が転居する9月1日がやってきました。
空港へ妻と見送りに。
友達は数名見送りに来てくれていました。
妻は涙もろい。
娘も私も覚悟していた。
家族写真・友達と一緒にに写真を撮ったりしていると出発時間30分前。
「そじゃあ行くね~」
と娘が手を振り検査場へ歩き出した。
友達も皆
「じゃあね~」
と手を振っている。
妻は・・・
「涙に声を詰まらせながら手を振っている」
妻には何度も自分たちに言い聞かせるように言ってきた
「旦那は全国転勤があるのだからいずれは北海道からいなくなる。それは仕方がない事。旦那には娘を大事にしてくれと俺は頼んだ。どこに行っても大事にしてくれるから大丈夫だ」
まあ実際は自分に言い聞かせて寂しさを紛らわせているだけ?かも知れませんが。
娘が保安検査場へと消えて行った後、妻と二人で展望デッキへ行き娘が乗った飛行機を両手を振りながら見送った。
娘には見えるはずもないのに・・・。