最初のブログ投稿

「Be yourself; Everyone else is already taken. (自分らしくあれ。誰かの役になろうとしても、そこはすでに埋まっているのだから)」

オスカー・ワイルド

これは私の最新ブログでの初投稿です。この新たなブログはまだ立ち上げたばかりです。これから充実させていきますのでぜひご注目を。以下で購読をお申し込みいただくと、新しいブログ投稿があったときに通知をお受け取りいただけます。

僕の家

一週間以内に引き取り手が見つからなければ僕は保健所へ行くらしい。

この家のお姉さんが涙目になりながら言っていた。

僕のお母さんはこの家の車庫に住み着いて僕と3匹の妹を匹出産した。

お姉さんと僕のお母さんな仲良しだ。

だって毎日ご飯を用意してくれていたからだ。

お姉さんは僕たちが産まれると御飯を持ってきては僕たちに

「可愛がってくれるところ探さないとね~」

と笑顔で言っていた。

産まれてから2ヶ月半ほど経ったある日3組の夫婦がやってきた。

「あら~可愛いね~ この子連れてかえろうかな~」

とお姉さんに言っている。

暫くすると妹たちが居なくなり僕だけになった。

「あなたも早く迎えにきてくれる人が見つかると良いね」

と僕に言った。

妹たちが居なくなり寂しかったけれど僕はお母さんと一緒に居られるので別に誰の迎えも要らない。

そう思っていた。

ある日

「この子連れて行ってくれないだろうか?」

遊びにきていたお兄ちゃんに言っている。

「僕のお父さんもお母さんも猫は好きなのですが4ヶ月程前に飼い猫がなくなり、その時のような悲痛な思いをしたくないからもう猫を飼うのはやめると言われているから無理かな~」

こう言われたお姉さんは、涙を流しながら何回も頷き

「後一週間で引き取り手が見つからなければ保健所へ連れて行かなくてはならないのよ」

と言っている。

保健所?何処?僕は何処かへ連れて行かれるのか?

そう思い聞いていた。

話しを良く聞いていると、僕を可愛がってくれるところではないらしい。

お姉さんはそこへ僕を絶対に行かせたくないようだ。

ハンカチで何度も涙を拭いている。

お姉さんが悲しんでいる。

僕がこのお兄ちゃんの所へ行くとお姉さんは喜んでくれるのか?

よし!

僕はお兄ちゃんの顔を見上げ鳴いた。

すると僕を抱き上げてくれた。

「連れて帰りたいけどな~ 駄目だって言われるからな~ ごめんな」

そう言って僕をそ~っと下に置き背を向けて歩いていってしまった。

お姉さんは寂しそうだ。

僕も寂しくなってきた。

翌日、お姉さんと男の人が話している声が聞こえた。

保健所の人が来たのか?

僕はそう思いお母さんのお腹に顔を埋めた。

男の人が近づいてきて僕を抱き上げてカゴのようなものに入れた。

もう駄目だと思った僕は目をつぶっていた。

車に乗せられた僕は30分程経った場所で降ろされ建物へ入った。

そこで僕に

「ほら 今からここがお前に家だ!まだお父さんとお母さんには言ってないから、帰ってきたら挨拶するんだぞ!!」

お兄ちゃんに優しく言われた。

お兄ちゃんだったのだ!

どうりで優しく抱き上げてくれていた。

今日からここが僕の家なんだ~。

でもお父さんとお母さんが帰ってきたら何と言われるのだろう・・・。

少しして二人が帰ってきた。

お兄ちゃんが二人と話しをしているようだ。

「駄目だっていっただろう!!」

お兄ちゃんが怒られている!?

誰かが近づいてきた。

お父さん!?

僕を見て

「連れてきてしまったものはしょうがない!」

そう言いながら僕を抱き上げた。

そんな怖そうな人でもない。

お兄ちゃんに言われた通り

「にゃ~」

と挨拶をした。

「なあんだ~こいつ まだ赤ちゃんだから鳴き声がか弱いな~」

と笑われた。

僕はこれが精いっぱいだ。

次にお母さん?に抱かれた。

「あら~」

と言いながら頬ずりをしてきた。

気持ちよかった。

下に住んでいる爺ちゃん、婆ちゃんにも挨拶してきた。

僕の家が決まった。

薄明りのロマンス  

22時を少し過ぎた6月中旬の高速道路のサービスエリア。

その場所からは海を見下ろす事ができる。

これがなかなかの絶景である。

この景色を眺めていた一組の熟年カップルがいた。

パ-キングには1台の車があるだけ。

サービスエリアの照明から少し外れた場所で二人は夜景を眺めていた。

この二人はどうやら夫婦のようだ。

「二人でこんな夜景を見るのは何年ぶりかしら 子供たちが成人するまでは二人なんてなかったわね」

「夜景なんか見た事あったか?」

「あるわよ 付き合っていた頃ね。 貴方 連れて行ってくれたじゃない。 
 どうせ覚えていないでしょうけどね。」

と言いながら妻は笑っていた。

そんな妻の顔を横目で見ながら夫は照れくさそうに

「覚えているさ・・・」

と小声で言った。

外には二人だけ。

小声でも妻にはしっかりと聞こえていたはずだ。

妻は夫との距離を詰めると夫の腕を自分の腰の位置に引っ張った。

普段は鈍感な夫も空気を読んだのか そっと引き寄せた。

笑顔の妻、もちろん夫も。

この時の妻は、夜景よりも夫の「覚えているさ」の言葉が嬉しかったようだ。

                 
  

愚痴と感謝

二週に1度 皮膚科 プラス 食品の買い出し。

3ヶ月に一度 脳外科。

半年に一度 呼吸器科。

これは二世帯住宅で暮らしている父母の予定である。

そして私の予定でもある。

皮膚科は父なのだが

この皮膚科 名医なのか患者数が多く受付をしてから4時間以上はかかる。

ですから私も自分の仕事を調整しながら病院へ連れていく。

といっても今は携帯電話とPCがあれば仕事ができる時代なので何とかなる。

何とかならないのが父親の自分勝手な行動である。

幸い土曜日も診療がある病院なのでで、14時までに受付をすれば診察できるという事で助かっている。

私は土曜日も仕事(一応AM 私達の世代は半ドンと言っているが・・・)なので間に合う。

いつも父親は

「14時までに受付をすれば良いから慌てて帰ってこなくても良いぞ」と

さも善人のように優しい言葉をかけてくる。

自宅から病院までは20分程あれば行ける場所。

クレ-ム処理等で遅くなり11時30分を過ぎると

「何時頃になりますか?うどんを食べる時間はありますか?婆さんが食べたいみたいです」

とSMSに送信してくる。

こっちは14時までに受付すれば良いと聞いているので、その時間に間に合えば・・・と思い行動している。

うどん 丸亀製麺だ。食べたいのは自分なのに婆さん(母親)のせいにしている。

この人はいつもそうだ。

都合の悪い事は全て人のせいにする。

まだ車を運転していた時に、車庫から出庫させる時に電動シャッターが開き切る前に動かすものだから
4回シャッタ-を破壊している。

この事を注意すると

「あれはシャッタ-が故障していて、一度上がったシャッタ-が何もしないのに下がってくるんだ!!」

と言ってきた。

呆れた。

皮膚科に連れていく時は母親も連れていき、うどんを食べる。

そして診療が終わり本日のメイン 買い物だ。

マイカゴを三つ持ってくる。

2週間分といっても老夫婦2人分なのに。

一つは母親に渡し買い物カートに乗せる。

カートを押して歩くと少しは安全だ。

父親は大きいカートにカゴを二つ乗せ買い物をスタ-トする。

40分程して終了した父親のカ-トを見ると 山積み!!

カゴに入りきっていない。

私はレジ前で、それを整理してレジカウンタ-に乗せる。

やっと終わる~と思っていたの束の間。

会計をしていた父親が私に近づてきて

「お金貸してくれ 足りなかった」

なにやってるんだか 思わず

「財布に入っているお金を計算して買いなさい」

と言いながらお金渡す。

精算金額を見ると30,000円を超えている。

おいおい二人なのに何買ってるのよ~。

これ 何度もあるのです。

お金が無い訳ではないので帰宅すると直ぐに返してくるのは良いのですが、足りないと言ってくる金額が10,000円以上なのです。

呆れます。

この時も言い訳

「婆さんが大根と〇〇好きだから買い過ぎた」

するとすかさず母親が

「そんなに食べてない!それだけでそんな金額にはならない!!」

と怒っている。

これが二週間に一度やってくる。

でも親ですから・・・。

救いなのは、この事態を妻に話して二人で笑っていられるからな・・・

何も言わずに話しを聞いてくれる妻に感謝ですわ。

猫の気持ち

あまり最近調子良くないな~。

そう思いながら大好きなボイラ-の横で寝ていた。

朝御飯を食べたらゆっくり歩いてボイラ-の横に行く。

昨日まではボイラ-の上に飛び上がって座ったりもしていたがもうしない。

身体がだるいな。

今日はお腹もあまり減らない。

日中は皆仕事。

僕は皆が居なくなるのがわかっているから御飯を食べたら下の爺ちゃんと婆ちゃんの所へ行っていた。

でも今日は行けない。

ボイラ-の横から動きたくない。

いつも皆がシャワ-を浴びるのを見送ってから下へ行っていた。

今日はお母さんが仕事じゃないみたいで家にいる。

何度も僕を呼びにくる。

僕は返事はするが動きたくない。

お母さんは僕を抱き上げて

「どうしたの?具合悪いのかい?」

「これ食べるかい?」

と僕の大好きなおやつをくれた。

お母さんが心配している 少しだけ食べた。

「美味しいかい?」

心配そうなお母さん。

僕を座布団の上寝かせてくれた。

でも少しして僕は大好きな場所へ移動した。

ボイラ-の横だ。

暗くなって お父さんが帰ってきた。

お母さんがお父さんに何か言っている。

すぐにお父さんがやって来て僕を抱き上げた。

そして何かに僕を入れて車に乗った。

お母さんも一緒だ。

着いた所は病院だった。

病院へ着いた僕はお医者さんに診てもらった。

そして入院になった。

僕は入院なんかしたくなかったのでお父さんとお母さんに

「置いて行かないで」

鳴いて頼んだ。

でもそれは叶わなかった。

お母さんは泣いていた。

ここでは隣にも僕と同じ猫がいたけれど寂しいし身体がだるい。

僕は腕に注射針を刺された。

ただでさえ調子が悪いのに刺される時痛かった。

僕はそう思いながら一晩、壁の方を見て寝ていた。

翌朝 聞いた事がある声が僕を呼んでいる。

お父さんだ。

僕は力を振り絞って立ち上がり振り向いた。

いた!

「家に帰りたい!」

と鳴いた。

お父さんは元気のない顔で僕を撫でてくれた。

仕事へ行く途中に寄ってくれたようだ。

「又 夜来るからな 早く良くなれよ」

と言いながら手を振りながら居なくなった。

夜来ると言っていたな。

夜は連れて帰ってくれるのかな?

そう思い夜を待った。

夜はお父さんとお母さんがきた。

嬉しかった。

でも連れて行ってくれなかった。

翌朝は お父さん。

夜は 生後3ヶ月程で捨てられた僕を抱き上げて連れてきてくれた大好きな兄ちゃんがきた。

兄ちゃんだ!兄ちゃんは家へ連れて帰ってくれる。

そう思いながら鳴いた。

兄ちゃんはいつも通りの優しい声で僕を撫でて抱き上げてくれた。

やった!このまま家へ帰れると思ったが今日も駄目だった。

でも次の日。

病院の都合で日曜日は入院ができないという事になり土曜日の夜に一時的だが家に帰れる事になった。

迎えは兄ちゃんとお母さんがきた。

兄ちゃんの運転で家に帰った。

その日の夜は兄ちゃんが僕のそばにずっと居てくれた。

日曜日はお母さんは仕事だったのでお父さんが日中から翌朝まで僕のそばに居てくれた。

僕はボイラ-の横に行きたかったが、そこへの道は閉ざされていた。

僕がそこへ行くと皆の目が届かないからだろう。

翌朝、僕はお父さんの車で又病院へ行き入院だ。

寂しかったが夜になるとお父さんがきてくれた。

お父さんはずっと僕の名前を呼んでくれた。

でも僕はお父さんの顔を見るのが精一杯で声がでなかった。

翌朝、先生がお父さんに電話をしているようだった。

電話が終わった先生は、僕に優しく丁寧にブラッシングをしてくれた。

そして可愛らしい箱の中へ僕を入れてくれた。

少しするとお父さんとお母さんが僕を迎えにきた。

お母さんの目は腫れていた。

お父さんは先生と話しをした後、僕が入っている箱を抱き上げて病院を出た。

お父さんとお母さんは車に乗せた僕を捨てられていた場所へ連れて行ってくれて

「ここにいた〇〇〇を兄ちゃんが抱き上げて連れて来たんだよ~」

と教えてくれた。

お母さんの声は震えていた。

そして僕は最後の夜を家で過ごした。

皆 涙を流してくれた。

兄ちゃん 連れてきてくれてありがとう。

お母さん いつも抱きしめてくれてありがとう。

お父さん 毎朝御飯をくれてありがとう。

爺ちゃん 婆ちゃん のんびりさせてくれてありがとう。

こんな気持ちで虹の橋を渡ってくれていれば良いな。

昨年7月に亡くなった我が家の猫の事を私の勝手な目線で書きました。

息子が拾ってきてくれたのを知っているかのように息子に異常に懐いていました。

二世帯住宅の2階の我が家でくつろいでいても息子が1階の玄関を開ける音が判別できるらしく

ダッシュで迎えにいきます。

その後 トイレ、シャワ-の時はドアの前で待ち。夕食の時は息子の座った椅子の少ししかない

スペ-スに窮屈そうではあるが寄り添うように座る。

食事が終わり部屋へ行こうとする息子の足に纏わりつきながら猫なで声。

部屋に入った息子を確認すると居間に戻ってくる。

妻は抱きしめるのですが嫌な時は怒って爪をだす。しかし良い時は気持ち良さそうに抱かれている。

背中に良く乗っていた。

私は朝が一番早く餌を入れる係のようなもの。私が起きると茶碗の前で待っていて「ニャ-」と鳴く。

手を差し出せば摺り寄せてくる。

ただ食べ終われば私には用無しという感じだった。

私が居間のソファ-でうたた寝をしていると、私の匂いを嗅ぎに来たらしい。

爺ちゃん 婆ちゃんのところへ行けば、抱くわけでもでもなく自由にさせてもらえる憩いの場所。

こんな環境で暮らした我が家の猫の事を書いてみました。

もう二度と動物を飼う事はしないと家族には話したのですが、引き取り手がないと保健所へつれて行か

なくてはならないと知人に言われた息子が昨年10月に子猫をもらってきました。

今度はどんな気持ちで暮らすのやら。

まるで亡くなった猫の気持ちがわかっているような言い方ですが

わかっていませんよ・・・。

年始の回想録

あけましておめでとうございます。

私 歳男の今年60歳。

一般的には厄年でお祓い・・・

と言っているが、あまり気にした事はない。

こんな私なので今まで一度も厄払いをした事がない。

災難・障害は無かったというば嘘になるが

それなりに乗り越えてきたつもり。

こんな私だが厄払いを否定はしない。

私はした事がないだけだ。

その災難だが

1月1日 20時から私は会社の事務所にいる。

仕事です。

これが災難ですかね。

こんな事を考えているうちに30年近く前に勤めた会社の社長を思い出した。

社員70人程の会社のオーナ-社長だ。

奥さんが経理部長。

私は営業部次長だった。

虚勢を張る人で、自分が気に入らない事があると大声で叱責してくる。

ただこれは自分では叱責だと思っているかもしれないが、こちらからすれば理不尽な事を言われている

だけ。

なので私はいつも反撃していた。

反撃と言えば言葉が悪いが社長からすればそうなのだろう。

ただ嫌いではなかった 多分社長も。

この人、何かにつけて社長室に呼んで説教をする。

その時の事で思い出して笑える事がある。

①お前達 新人が入ったら「ワンツ-マン」で丁寧に教えてやれ!!                                                          

 はいはい「マンツ-マン」ね

②俺は社員とその家族を預かる社長なんだ。
 その大切な社員と家族を「怒涛」に迷わせるような事はできないんだ!

 荒れ狂ってどうするの「路頭」に迷う だわ!!

なんて始末。

他にも

〇穿った見方 と言おうとした筈 ✕おだった見方
〇眼福    と言おうとした筈 ✕感服         
                      等々

この時は笑いを堪えるのに必死だった。

ただ、この時に思った事は

知ったかぶりは恥をかく。

常に勉強が必要だなと。

ある意味、反面教師になってくれたという事で感謝。

ただ私は今でも勉強不足が多々あり日々反省している。

こんな社長だったが、出張というと私を同行させるのだが

出張中は

「腹空いてないか?」

「これ奥さんに土産だ」

と優しく気遣いをしてくれた。

もう亡くなって10年程経つだろうか・・・。

今昔物語

9月に娘が女の子を出産した。

私達夫婦にとって初孫になる。

旦那さんの転勤で昨年関東に引っ越してしまった為  

駆けつける訳にはいかなかった。

しかし今は良い時代である。

スマホで写真が何枚も送られてきた。

可愛いものである。

妻は駆けつけてあげて産後のサポ-トをしてあげたい筈であるが

パ-トではあるが仕事をしている手前そうはいかなかった。

ただ予定日の3週間ほど後に飛行機チケットはとっていたので

妻と二人でその日を楽しみにしていた。

そんな楽しい事を考えながら私達夫婦の第一子(長男)の出産の事を思い出した。

8月中旬が予定日であった妻。

6月末で仕事をしていた。

元々少し豊満ではあったが7月に入り臨月が近づくと更に成長していった(笑)

そんな身重な身体で毎朝食事を用意して私を仕事へ送り出し

夕食を用意して帰宅を待ってくれていた妻でした。

感謝ですね。

そんな7月の末近くの朝

いつも通り朝食をとり妻に見送られて出勤。

もうすぐ勤務が終わるという頃に

「ゆうびさん 奥さんから電話ですよ」

という声。

電話にでると

「破水したみたいだから病院に行くから」

という事だった。

直ぐに上司に状況を説明をして退社。

勤務先から病院までは 1時間15分程。

電車で移動している私の頭の中は

「妻は大丈夫か ちゃんと病院へ行けたのか?病院へついたらなんて言う?
〇〇ですが妻は・・・?いや電話がきてから1時間ちょいしか経ってないからまだ産まれてないよな 分娩室の前で待ってるのか?」

なんて色々と考えなが病院へ到着。

自動ドアが開くと丁度一人の看護師(当時は看護婦)さんが私を見た。

私が

「ゆうびですが・・・」

というと

「あら~と言いながら私に近づいてきて 奥さん もう頭出かかっているのに両手に荷物持ってここまで来たのよ~ こちらへどうぞ~」

と案内された場所へ行くと、妻が私を見てVサイン。

私は妻の顔を見て安堵しましたが拍子抜けしました。

しかし産まれた子供をすぐに抱いた時は何とも言えない感動があったような気がする。

臨月近くまで販売の仕事をしていた事が安産につながったよう。

Vサインの妻に

「荷物なんて俺が後から持ってこれるのに何でわざわざ両手に下げてきた?」

と聞くと

「そうだよね~ 全然そんなことまで頭がまわらなかったわ~」

と笑っていた。

これが私の父親にになった時のちょっとしたスト-リ-なんですが

今は違う。

娘の旦那さんは出産予定日の近くから在宅ワーク。

娘の身体の状態を管理していた。

入院も旦那さんが連れていき

出産は立ち合いだった。

産後は産休を取得して一緒に子育てをしている。

昔と今は違うね~。

親としては安心ですがね。

この事を聞くと昔の男(私)は役に立ってないね~と つくづく思う。

娘の旦那は、色々勉強したようです 感服した!

でも昔の男も凄いぞ!!というところを見せてやる!!

見せてやれるものがあるかな・・・(笑)

学習能力

喫茶店で昼食を食べていると。

「また同じ事してるの~?学習能力ないな~」

と笑い声が聞こえてきた。

そこへ目を向けると

なんとも和やかな雰囲気で一人の若い男性が先輩らしき女性から

いじられているように見える微笑ましい光景だ。

決していじめではない。

その光景を眺めていると何とも癒されるような気分だった。

そうだよ 大人なんだから同じ過ちをしてはいけないんだよ。

と心の中でつぶやきながら

私も若い時は先輩社員から

「お前学習能力ないのか!!」

と怒られた事を思い出した。

今なら立派なパワハラですね。

今は一応管理職なのでそんな事を言われる訳にはいかない立場。

色々な事をぼんやり考えながら食事を終えた私は

胃薬を飲もうとポケットに手を入れた。

あれ?ない。

確かに入れた筈。

もう一度探すがない。

あ~。

ポケットには自宅の鍵も入れていた。

鍵を出し入れする時に一緒に出てしまう事があるから気を付けないと思ってはいた。

またやった~。

学習能力ないな。

これはさすがに微笑ましくもなく

ただただ呆れるばかりだった。

妻にこれを言うと 多分

またやったの~?

と笑われるであろう。

同じ笑われても いじられている訳ではない。

胃薬がもっと必要になるな・・・

死語の世界は楽しい

どこかで聞いた言葉です。

私と同年代の方は、おわかり頂けると思うのですが

往年の名優

(故人)丹波 哲郎さんの言葉です。

ただ 丹波さんは

「死  の世界は楽しい」ですけどね。

あたり前田のクラッカ-

社会人になってから何となくノリで言ってしまうようになりました。

「おやじギャグ~」

と周りから笑われていました。

特に女子からは・・・。

このおやじギャグ 私が産まれる前?もしくは幼少期のものなんです。

1962年に始まったコメディ番組で「俺がこんなに強いのも あたり前田のクラッカ-」と
俳優の故 藤田まことさん が言ったセリフなんです。

おやじギャグは死語?なのかな~。

まあ若い人は言わないか。

でも 死語は楽しい。

・いただきマンモス
・よっこいしょういち(大東亜戦争終結から28年目 アメリカ領グアム島で地元漁師に発見された残留                     
 日本兵 横井庄一さんを   よっこいしょの掛け声をもじった)
・バイなら(バイバイ さようなら)
・ドロンします(その場を離れる 帰る)
 ※これはポーズをとる人もいました
・バッチグ-(バッチリ+goo good)完璧
・許してちょんまげ(許して下さい)
・花金(週休二日制導入により金曜日が夜遅くまで楽しめるようになった)
・バタンキュー(疲れて倒れるように寝る)
・アジャパ-(あちゃ~ トホホ というように失敗?)
 ※伴 淳三郎さんが発した流行語(1951年)

まだまだあります・・・

この言葉 同い年の妻は当然のように理解します。

たまに二人で旅行へ出かける時の車内。

助手席から妻がなにやらお菓子を取り出して

「食べる?」

と聞いてきます。

そこで私は

「いただきマンモス」

なんて言って食べてます。

二人しかいない空間 いや二人きりの空間。

嫌でも妻は笑うしかありません。

何故か?

笑わないと次々におやじギャグを繰り出す私を知っているからです。

正確に言うと笑おうが笑うまいが次々と繰り出すのですがね。

でも 死語は楽しい!!

いや私の中では決して死語ではないですけどね。

言葉

私が小学1年生の頃(昭和46年)の事です。

あまり裕福ではなかった家庭で育った私は、月に1・2度買ってくれる

バニラカップアイスクリ-ムが大好きだった。

私はそのカップアイスクリ-ムを まずは半分を普通に食べる。

その後、残りの半分を木のスプ-ン(当時はヘラと呼んでいた)で混ぜる。

すると、今でいうシェ-クのようになる。

これが旨かった。

しかし、母親はそれを見ていて

「なに汚い食べ方しているの やだね~」

と言ってきた。

私は

「この食べ方が旨いんだ 一つのアイスで二度楽しめるんだ!!」

と豪語していた。

そんな私を母親は

「変な子だね~」

と首を傾げていた。

しか~しっ!!

正式にいつ発売になったのかは知らないが、私が子供の頃に楽しんでいた「シェイク」いや「シェイクもどき」は今商品として発売されているではないか。

当時母親の見解はそうだったのかもしれないが今はヒット商品だ。

私だけかな?こう思っているのは。

大人の常識で偏見を子供に言ってはいけない。

あの時

「あら~なにしてるの?美味しいの?お母さんにも一口頂戴」

とでも言ってくれたら子供(私)どんなに喜んだだろうと思う。

もしかしたら、この事がきっかけで食に対して様々な角度から研究をして

創作料理の有名料理人になっていたかも?しれない。

まあこれは冗談だが

子供デリケ-トである。

特に親は子供に発する言葉は慎重になった方が良い。

子育てをしている方は注意をした方が良いのではないかと思う。

因みに「シェク」は私の大好物!

冬でも「シェク」単品で買います。

休日 妻と出かけると妻が

「コーヒ-飲みたいね セブンかマック行かない?」

と言ってくる。

私は勿論「シェク」が飲みたいのでマックへ向かう。

マックへ行くと妻も「シェク」を頼んでいる。

コーヒは買わずに。

「コーヒ-とシェク両方買うのは贅沢だからね~」

という妻。

そんな妻に私は

「シェクは太るからコーヒ-の方が良かったんじゃない?」

と言うと間髪入れずに

「いいの!!」

とふくれていた。

少しの愛、車中の狭いスペ-スの空気が悪くなった・・・。

妻はデリケ-トである。

特に旦那は妻に発する言葉は慎重になった方が良い・・・(笑)

雨の記念日

5月に結婚35年を迎えた。

つきあっている期間をいれると約40年になる。

妻は娘に

「お父さんは、お母さんがお願いした事は、かなりの確率で忘れているのに髪型・服・化粧が変わると直ぐに気付くんだよね~」

と言っていたらしい。

髪型・化粧が変わったらわかるよ俺は 毎日見てるから違いには気づくよね。

服だって同じ。

でも、内緒で買ったら駄目だとは一度も言った事はないし

「買って良い?」と聞かれて駄目だと言った事は無い・・・と思う。

家庭のやりくりは妻に任せているので

「欲しかったら買えば良い 普通に生活ができるな良いよ!」

と言っている。

こう言うと凄く裕福な家庭に聞こえるかもしれないが、そんな事はない。

私は普通のサラリ-マン、妻もパートで生活を支えてくれている。

ただ二人の子供は社会人なので、これからは孫になにかしてあげるか(まだいませんが9月に誕生する予定)老後の生活の為に働いているというところかな。

子供たちが社会人になるまでは、それなりにお金がかかった。

いくら社会人になったからといって全くかからなくなった訳ではないが今は違う。

パ-トで自分が稼いだお金で服を買ったっても何の問題もない。

私はそれで良いと思っている。

休日に出かけると、靴・服・鞄のショップで足をとめる妻。

少しの時間眺めて

「行こう!!」

という。

プライスを見るとセールなのか少額 2・3千円。

「欲しいの?こんなに安いのだから買えば?」

と言っても

「いや いい」

と言って歩いて行く。

でも戻って

「良いの?」と聞いてくる。

こんな事が何度あっただろう。

私は今でも妻を一人の女性として見ている。

妻を引き立たせる?いや表現が間違っているな。

可愛く?これも違うか。

素敵に?これも違うような気がするが(笑)

要は自分の妻が いつまでもそれなりに 可愛く?いてくれるのは悪い気はしないし

いつまでも女性を忘れずにいて欲しいと思っているので、それなりに着飾るのは悪い気はしない。

んっ?なにか言っている事がおかしいな(笑)

こんな私だが家庭内のイベント事は意外にも忘れない。

結婚記念日には必ずケーキを買って帰った(買わない事もあったかな・・・)

35年目には・・・と決めている事があった。

私は半年前から準備を始めた。

私たちが結婚式を挙げた(正式には披露宴ですかね)ホテルを予約。

準備したのはこれだけだが・・・。

妻には

「〇月〇日(結婚記念日)は外で御飯食べてホテルに泊まろう!」

とだけ言っておいた。

そして当日。

私はいつになく定時に仕事を切り上げ帰宅。

キャリ-ケースを車に積込出発。

到着したホテルを見た妻は

「わ~結婚式を挙げたホテルだ~」

と満面の笑みだ。

「成功だ 私の計画は・・・」と私は得意満面になっていたのを妻は気づいただろうか。

フロントでチェックインの手続きをすると

「〇〇様 本日広めのツインをご用意させて頂いておりますので ごゆっくりおくつろぎ下さい」

という言葉と笑顔で私達を迎えてくれた。

実は私、予約する時に宿泊日が結婚記念日である事を伝えていた事もあり

ホテル側が粋な計らいをしてくれたようだ。

部屋に荷物を置いてから予約した店に行くためにホテルを出た。

外は雨。

天候も私達を祝福してくれているようだ。

何故かというと35年前の結婚式を挙げた日は土砂降りの雨だった。

「土砂降りではないが 同じだ!!」

私達には当時の事を思い出させてくれる最高のプレゼントだった。

相合傘で15分程歩き店へ到着。

この予約した店 実は私が予約した訳ではない。

勤務先の社長と飲んでいる時に「結婚35年で・・・」と話しをすると

ある店を予約してくれたのだ。

その店で食事をしながら35年前の結婚式の事、子供たちの事等の昔話をしながら

2時間ほど過ぎた。

お腹も満たされたし、ほろ酔いになったところで

「そろそろ帰るか」と妻の顔を見ながら

「いくらですか?」

というと

笑顔で

「少しお待ちください」

と 待つこと2分程。

「実はお代は頂いております 社長から」

ここで妻 感激。

私 恐縮。

なんとまあ記憶に残る記念日になった。

基本 亭主関白な私。

よく35年も一緒にいてくれたものだと感謝している。

来年はどうしようかな・・・。