土曜の夜は楽しいゴールデンタイム

小学生の頃、学校は嫌いではなかったが勉強は嫌いだった。

そんな私は土曜日が大好きだった。

土曜日は午前中で授業が終わる。

ここからがお楽しみの始まりだ。

家に帰り昼ごはんを食べたら直ぐに遊びに行く。

自転車に乗り友達の家へ行ったり野球をしたりと、晩御飯ぎりぎりまで遊ぶ。

晩御飯を食べた後は、ここからもう一つのお楽しみが始まる。

テレビだ。

翌日は日曜日 思う存分テレビが観られるのが土曜日だ。

19時   まんが日本昔話
19時30分 巨泉のクイズダ-ビ-
20時   8時だよ全員集合
21時   Gメン75

これが私のゴールデンタイムだ。

しかしゴールデンタイムには続きがある。

22時   テレビ三面記事 ウィ-クエンダ-

これだ!!

この番組 非常に興味があった。

しか~っし!!

22時になり ウィ-クエンダ-が始まると。

「もう寝なさい!!」

と寝室へ強制送還。

親は教育上よろしくない!と判断したようだ。

土曜のゴールデンタイムはこうして終わっていた

筈なのですが

実は両親が親戚の家に行き留守番をしている事があり1・2度観たのです。

確かに子供にはちょっと教育上良くはありませんが

内容ではなく出演者の

・桂朝丸
・泉ピン子
なんかの話し方が面白かった(笑)

土曜日を迎える為に学校へ行っていた私だった。

楽しかったな~・・・

因みに泉ピン子さんはその後唄、唄もだしましたね

確か「ひとり寝化粧」 たしかね・・・

今や大女優 らしいけど。

 

かぐや姫

某CMで

「月に帰ったらお月見できない」

とお姫さまが言っていますが

そのお話しではありません。

私が中学生の時に観ていたテレビ番組で

『ラブアタック!』

という恋愛バラエティがありました。

確か 最初は 横山ノックさんが司会だったが

途中から 上岡龍太郎さん 和田アキコさん がメイン司会者だったと思う。

この番組の内容はというと

男性数人が競い合って 一人の女性(かぐや姫)にアタックをするというもの。

今じゃ考えられない番組かもしれない。

私はこの番組が好きだった。

しかし競い合って「かぐや姫」にアタックする事が好きなのではなく

数人の男性がいくつかのゲームで競い勝ち抜けていき最後の一人が「かぐや姫」にアタックできるのだが、その中のゲームの一つで

フルコ-スディナ-早食い競争

というものがあった。

タイトル通りの早食いだ。

お馬鹿な中学生の私とその仲間たちは、学校給食でこのゲームを実践した。

給食が配られ皆が席につくと日直が

「いただきます!!」

と号令をかける。

これがスタ-トの合図だ。

パンをかじり牛乳を飲む 中には吹き出す者もいる。

アルミ容器に入ったおかずを一気にかきこむ。

食事時間2分少々。

私はお馬鹿5人位中でかなりの確率で優勝していた。

問題はその後だ。

誰にアタックするんだという事になった。

すると参加していない まともな男が

「日直の女の子にアタックしろ~」と指笛をならした。

この時点でこいつも まともな男ではない ただのお馬鹿な奴だ。

教室内は盛り上がり

優勝した時の私はラブアタックの決め台詞 

女の子の前にいって

「お願いします!!!」

と右手を出した。

結果は

「何言ってるの~」

と笑いながらふられました。

まあ 馬鹿な男たちのお遊びなのは理解してくれていましたがね(笑)

その大盛り上がりの後 一緒に給食を食べていた先生が怒るかと思えば笑顔で

「な~にやってるんだお前たちは」

「そんなに早食いしたら消化に良くないぞ~」

「お姫様にOKしてもらうのも大変だな~」

と洒落た事をいう先生だった。

楽しかった!

でもお馬鹿ですな。

追憶

7月中旬過ぎに1つ下の弟から

「今月末に股関節手術(人工関節を入れる)する事になったので入院する事になった ついては保証人になって欲しい」

と連絡が入った。

弟夫婦は近所に住んでいるのだがあまり交流がない。

別に仲が悪いわけではない。

私は親と二世帯で暮らしているので、1階に住んでいる親の所へ来ている時に多少言葉を交わすくらいなもの。

私とは全く性格の違う弟。

私は営業の仕事をずっとしている事もあるのか元来の性格なのか、周りからは「明るいよね~ いつ見ても元気 悩む事なんてないよね~」と良く言われる。

若い頃は笑ってごまかしていたが今は「悩みがない人間なんている訳ないじゃないですか~ モチベ-ションを下げない為のテンションですよ」と笑いながら返している。仕事の悩みは た~くさんありますからね。

こんな私と正反対の弟は、職種は大きく分類すると工場勤務 あまり人と関わる事を好まない。

ネガティブ思考。これは母親に似ているところがある。

こんな弟は私に敬語を使ってくる。

一つしか歳の違わない弟。

私は違和感しかなかったが自然とお互いに距離をとっていた。

こんな弟からの頼み。

兄としてというよりも親族として断る理由はない。

3週間程の入院になるとの事だったので奥さんが困ったことがあったら連絡するようにと言っておいた。

それを言うと非常に恐縮していた。

こんな弟なので見舞いに行くと言えば、まず断ってくるに違いない。

そう思った私は、手術は成功 翌日からリハビリを開始していると連絡が入った2日後
見舞いに行く事にした。

見舞いに持って行ったのは
・マーガリントースト   25円(当時)
・シュ-クリ-ム     5円 (当時)
・ヤクルト(多分類似品) 5円 (当時)

これは鍵っ子(若い人はかりませんかね?)の私達が5歳くらいの時に1日一人10円の小遣いでほぼ毎日買っていたおやつなのです。

ただ当時の金額を見て頂くとおわかりでしょうが、マーガリントーストが25円の為、当然毎回は買えません。

そこで私たちは、マーガリントーストを食べたい時には

今日は ヤクルト1個 シュ-クリ-ム1個を買って半分にしよう。

こうする事によって 一人10円もらえる小遣い

10円×2人=20円-10円=残10円

翌日 10円×2人=20円+前日残10円=30円になります。

マーガリントーストが買えるのです。

マーガリントーストは2枚入っているので分けて食べる。

飲み物はヤクルト(類似かも?)を1本買って分ける。

こんな思いでがあったので買っていった。

買ったヤクルトは1000にグレ-ドアップしましたがね。

細かい説明はせずに「想い出して買ってしまったわ!」とだけ言い、少しの言葉だけ交わして病室をでた。

帰宅後2~2時間後にラインが届いた。

「今日はお忙しい中わざわざ病院に来てくれてありがとうございます」

と堅い挨拶から始まったラインは最後に

「子供の頃を想い出したわ」

とあった。

覚えていたんだな。

約55年前の私達二人しか知らない想い出だ・・・

接客

接客とは何かと調べると

接客業とはお客様をおもてなしすることで
商品知識やコミニュケ-ション力、人間力などが必要です
接客にはあらゆる要素があり、自分流にカスタマイズして体得するスキルが重要です・・・

と書かれていた。

あるコンビニへ買い物に行った時の事。

妻と私が店内へ入るとカウンタ-内でお姉さんが二人が仲良く話しをしている。

私と目が合ったが何の言葉もなく二人の会話は続く。

あら~と思いながらも商品をカゴに入れてレジへ。

「いらっしゃいませ」もなく いきなり商品をスキャン。

「〇〇〇円です」

こんな感じで精算が終わり店外へ。

女性二人は私達の精算が終わると又仲良く話しをしていた。

笑顔で・・・

私達夫婦は無言で駐車していた車内へ乗り込んだ。

ドアを閉めた瞬間に妻は私を見てきた。

私は予想がついていたので笑いながら妻を見て

「はい!何か言いたい事ありますか?」

と聞くと

「何あれ~ いくらなんでもあれは駄目だよね~」

当然私もそう思っていた。

私達二人は接客業経験者。

妻は現役。

私達の事を『お客様』なんて思って欲しいとは思っていない。

欲しいものを買い求めに店に行った ただの『客』です。

でもこの接客はね~

最低かな~

接客業で仕事をしている以上 

「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」

は必要でしょう。

心から思っていないくてもね。

何故なら 仕事だからです。

オーナ-さんから賃金を頂いている以上はね。

ただ残念な事にこういった状況に出くわした事は今回だけではない。

私達夫婦はこういった店には二度と行かない。

嫌な気持ちで買い物をしたくないからだ。

若い頃はクレ-ムを入れたりしていたが、今はほぼしない。

クレ-ムを入れる事は余計な体力を使うし、気分が悪くなる。

決して 店にとっても良い状況にはならないのにね。

ただ 気持ちの良い接客に出会った時には気分も良いね~。

人間ってこういうものですよね。

貧乏と文化鍋

子供の頃 我が家は多分裕福ではなかった。

というより貧乏だった。

ただその頃の私は貧乏だとは思っていなかった。

いや貧乏がどういうものかを知らなかった。

ある夏の暑い日、母親が半ズボンを出してくれた。

私は出されたものを履いて外へ遊びに行った。

友達と汗を流して遊んでいると

「おまえチャック開いてるぞ恥ずかし~」

と馬鹿にされた。

私は何を言われているのかわからなかった。

前が開いているのが普通だと思っていたからだ。

私の半ズボンは誰かのお下がりだったらしいのだがチャックが壊れていた。

母親はまだ小学生になる前の子供だから関係ないと思っていたらしい。

長ズボンは膝にアップリケが縫い付けてある。

穴が開いているからだ。

それでもその頃は何の疑問を抱いた事はなかった。

「喉が渇いた ジュ-スが飲みたい」とせがむと

「水に砂糖を入れて飲みなさい」な~んて言われた事もありました。

当時 粉末ジュ-スというものがあったような気がする。

それを水で溶いて飲む。

それなりに美味しかった。

こんな生活を送っていた幼少期の私は鍵っ子だった。

一つ下の弟と二人で留守番をしていた。

当時の私は母親の役に立ちたいと思っていたのだろう。

なにかを手伝いたいと思った。

そこで私は御飯を炊く事を母親に提案した。

現代であれば何の問題もない事だがこの時代は文化鍋だった。

そして私は5歳くらい。

昔だからでしょうか 母親はOKしたのです。

5歳の子供が火を使い文化鍋で御飯を炊く。

今じゃNGですよね。

母親のOKをもらった私は茶碗で米を文化鍋に入れ米を研いだ 水が透明になるまで。

そして文化鍋に手を入れてくるぶしまで水を入れ計量OK。

ガスコンロの上に文化鍋を置き着火!

何分かは忘れましたが、鍋の蓋がカタカタとなってきたら弱火にする。

こんな感じだったと思う。

御飯は炊きあがった。

鍋の底には、おこげができた。

仕事から帰ってきた母親は褒めてくれたような記憶がある。

自分で炊いた御飯は格別だった。

特におこげは旨かった~。

今はボタンを押すと御飯がたける

それも指定した時間に。

昔じゃ考えられない。

今 文化鍋で御飯を炊く事ができるだろうか?

やってみたい・・・。

おっぱい フミフミ

昨年10月に生後3ヶ月で我が家にやってきた子猫。

体重が約4kgになりもう子猫ではない。

この猫だが最近になって猫の本能的行動と言って良いと思うが、毛布の上で前足を『フミフミ』をしている。

この仕草は見ていて可愛いし癒される。

なので静かにその仕草を見つめている。

我が家にやってきた時には2週間余り私が夜に一緒に寝たりして面倒をみていたのだが、何故か妻に一番懐いている。

一緒にいる時間が長いのは妻だからかな?

ある夜妻が寝室へ行くと「ふにゃ~」と小走りでついて行った。

ここまではいつもの行動。

私が行ってみると、妻の胸の上に乗って『フミフミ』をしている。

おっぱいの上だ。

「お~い それは俺のだぞ~」と笑いながら言うと。

目を細めて「ふにゃ~」と返事。

そんな会話をしながら私は妻の隣の布団に入った。

暫くすると妻が

「ちょっと~ なに~ やめてよね~」

と笑いながら言っている。

私にではない 猫にだ。

「どうした?」と身体をおこしてみると。

猫は至福のひと時のような顔をしながら妻のお腹の上でフミフミをしていた。

「お腹の方が気持ち良いのかい?傷つくわ~」

と笑う妻。

その言葉と猫の仕草を見て笑う事しかできない私。

別に嫌な事があった一日ではなかったが、何もかもを忘れさせてくれるような夜だった。

僕の家

一週間以内に引き取り手が見つからなければ僕は保健所へ行くらしい。

この家のお姉さんが涙目になりながら言っていた。

僕のお母さんはこの家の車庫に住み着いて僕と3匹の妹を匹出産した。

お姉さんと僕のお母さんな仲良しだ。

だって毎日ご飯を用意してくれていたからだ。

お姉さんは僕たちが産まれると御飯を持ってきては僕たちに

「可愛がってくれるところ探さないとね~」

と笑顔で言っていた。

産まれてから2ヶ月半ほど経ったある日3組の夫婦がやってきた。

「あら~可愛いね~ この子連れてかえろうかな~」

とお姉さんに言っている。

暫くすると妹たちが居なくなり僕だけになった。

「あなたも早く迎えにきてくれる人が見つかると良いね」

と僕に言った。

妹たちが居なくなり寂しかったけれど僕はお母さんと一緒に居られるので別に誰の迎えも要らない。

そう思っていた。

ある日

「この子連れて行ってくれないだろうか?」

遊びにきていたお兄ちゃんに言っている。

「僕のお父さんもお母さんも猫は好きなのですが4ヶ月程前に飼い猫がなくなり、その時のような悲痛な思いをしたくないからもう猫を飼うのはやめると言われているから無理かな~」

こう言われたお姉さんは、涙を流しながら何回も頷き

「後一週間で引き取り手が見つからなければ保健所へ連れて行かなくてはならないのよ」

と言っている。

保健所?何処?僕は何処かへ連れて行かれるのか?

そう思い聞いていた。

話しを良く聞いていると、僕を可愛がってくれるところではないらしい。

お姉さんはそこへ僕を絶対に行かせたくないようだ。

ハンカチで何度も涙を拭いている。

お姉さんが悲しんでいる。

僕がこのお兄ちゃんの所へ行くとお姉さんは喜んでくれるのか?

よし!

僕はお兄ちゃんの顔を見上げ鳴いた。

すると僕を抱き上げてくれた。

「連れて帰りたいけどな~ 駄目だって言われるからな~ ごめんな」

そう言って僕をそ~っと下に置き背を向けて歩いていってしまった。

お姉さんは寂しそうだ。

僕も寂しくなってきた。

翌日、お姉さんと男の人が話している声が聞こえた。

保健所の人が来たのか?

僕はそう思いお母さんのお腹に顔を埋めた。

男の人が近づいてきて僕を抱き上げてカゴのようなものに入れた。

もう駄目だと思った僕は目をつぶっていた。

車に乗せられた僕は30分程経った場所で降ろされ建物へ入った。

そこで僕に

「ほら 今からここがお前に家だ!まだお父さんとお母さんには言ってないから、帰ってきたら挨拶するんだぞ!!」

お兄ちゃんに優しく言われた。

お兄ちゃんだったのだ!

どうりで優しく抱き上げてくれていた。

今日からここが僕の家なんだ~。

でもお父さんとお母さんが帰ってきたら何と言われるのだろう・・・。

少しして二人が帰ってきた。

お兄ちゃんが二人と話しをしているようだ。

「駄目だっていっただろう!!」

お兄ちゃんが怒られている!?

誰かが近づいてきた。

お父さん!?

僕を見て

「連れてきてしまったものはしょうがない!」

そう言いながら僕を抱き上げた。

そんな怖そうな人でもない。

お兄ちゃんに言われた通り

「にゃ~」

と挨拶をした。

「なあんだ~こいつ まだ赤ちゃんだから鳴き声がか弱いな~」

と笑われた。

僕はこれが精いっぱいだ。

次にお母さん?に抱かれた。

「あら~」

と言いながら頬ずりをしてきた。

気持ちよかった。

下に住んでいる爺ちゃん、婆ちゃんにも挨拶してきた。

僕の家が決まった。

薄明りのロマンス  

22時を少し過ぎた6月中旬の高速道路のサービスエリア。

その場所からは海を見下ろす事ができる。

これがなかなかの絶景である。

この景色を眺めていた一組の熟年カップルがいた。

パ-キングには1台の車があるだけ。

サービスエリアの照明から少し外れた場所で二人は夜景を眺めていた。

この二人はどうやら夫婦のようだ。

「二人でこんな夜景を見るのは何年ぶりかしら 子供たちが成人するまでは二人なんてなかったわね」

「夜景なんか見た事あったか?」

「あるわよ 付き合っていた頃ね。 貴方 連れて行ってくれたじゃない。 
 どうせ覚えていないでしょうけどね。」

と言いながら妻は笑っていた。

そんな妻の顔を横目で見ながら夫は照れくさそうに

「覚えているさ・・・」

と小声で言った。

外には二人だけ。

小声でも妻にはしっかりと聞こえていたはずだ。

妻は夫との距離を詰めると夫の腕を自分の腰の位置に引っ張った。

普段は鈍感な夫も空気を読んだのか そっと引き寄せた。

笑顔の妻、もちろん夫も。

この時の妻は、夜景よりも夫の「覚えているさ」の言葉が嬉しかったようだ。

                 
  

愚痴と感謝

二週に1度 皮膚科 プラス 食品の買い出し。

3ヶ月に一度 脳外科。

半年に一度 呼吸器科。

これは二世帯住宅で暮らしている父母の予定である。

そして私の予定でもある。

皮膚科は父なのだが

この皮膚科 名医なのか患者数が多く受付をしてから4時間以上はかかる。

ですから私も自分の仕事を調整しながら病院へ連れていく。

といっても今は携帯電話とPCがあれば仕事ができる時代なので何とかなる。

何とかならないのが父親の自分勝手な行動である。

幸い土曜日も診療がある病院なのでで、14時までに受付をすれば診察できるという事で助かっている。

私は土曜日も仕事(一応AM 私達の世代は半ドンと言っているが・・・)なので間に合う。

いつも父親は

「14時までに受付をすれば良いから慌てて帰ってこなくても良いぞ」と

さも善人のように優しい言葉をかけてくる。

自宅から病院までは20分程あれば行ける場所。

クレ-ム処理等で遅くなり11時30分を過ぎると

「何時頃になりますか?うどんを食べる時間はありますか?婆さんが食べたいみたいです」

とSMSに送信してくる。

こっちは14時までに受付すれば良いと聞いているので、その時間に間に合えば・・・と思い行動している。

うどん 丸亀製麺だ。食べたいのは自分なのに婆さん(母親)のせいにしている。

この人はいつもそうだ。

都合の悪い事は全て人のせいにする。

まだ車を運転していた時に、車庫から出庫させる時に電動シャッターが開き切る前に動かすものだから
4回シャッタ-を破壊している。

この事を注意すると

「あれはシャッタ-が故障していて、一度上がったシャッタ-が何もしないのに下がってくるんだ!!」

と言ってきた。

呆れた。

皮膚科に連れていく時は母親も連れていき、うどんを食べる。

そして診療が終わり本日のメイン 買い物だ。

マイカゴを三つ持ってくる。

2週間分といっても老夫婦2人分なのに。

一つは母親に渡し買い物カートに乗せる。

カートを押して歩くと少しは安全だ。

父親は大きいカートにカゴを二つ乗せ買い物をスタ-トする。

40分程して終了した父親のカ-トを見ると 山積み!!

カゴに入りきっていない。

私はレジ前で、それを整理してレジカウンタ-に乗せる。

やっと終わる~と思っていたの束の間。

会計をしていた父親が私に近づてきて

「お金貸してくれ 足りなかった」

なにやってるんだか 思わず

「財布に入っているお金を計算して買いなさい」

と言いながらお金渡す。

精算金額を見ると30,000円を超えている。

おいおい二人なのに何買ってるのよ~。

これ 何度もあるのです。

お金が無い訳ではないので帰宅すると直ぐに返してくるのは良いのですが、足りないと言ってくる金額が10,000円以上なのです。

呆れます。

この時も言い訳

「婆さんが大根と〇〇好きだから買い過ぎた」

するとすかさず母親が

「そんなに食べてない!それだけでそんな金額にはならない!!」

と怒っている。

これが二週間に一度やってくる。

でも親ですから・・・。

救いなのは、この事態を妻に話して二人で笑っていられるからな・・・

何も言わずに話しを聞いてくれる妻に感謝ですわ。

年始の回想録

あけましておめでとうございます。

私 歳男の今年60歳。

一般的には厄年でお祓い・・・

と言っているが、あまり気にした事はない。

こんな私なので今まで一度も厄払いをした事がない。

災難・障害は無かったというば嘘になるが

それなりに乗り越えてきたつもり。

こんな私だが厄払いを否定はしない。

私はした事がないだけだ。

その災難だが

1月1日 20時から私は会社の事務所にいる。

仕事です。

これが災難ですかね。

こんな事を考えているうちに30年近く前に勤めた会社の社長を思い出した。

社員70人程の会社のオーナ-社長だ。

奥さんが経理部長。

私は営業部次長だった。

虚勢を張る人で、自分が気に入らない事があると大声で叱責してくる。

ただこれは自分では叱責だと思っているかもしれないが、こちらからすれば理不尽な事を言われている

だけ。

なので私はいつも反撃していた。

反撃と言えば言葉が悪いが社長からすればそうなのだろう。

ただ嫌いではなかった 多分社長も。

この人、何かにつけて社長室に呼んで説教をする。

その時の事で思い出して笑える事がある。

①お前達 新人が入ったら「ワンツ-マン」で丁寧に教えてやれ!!                                                          

 はいはい「マンツ-マン」ね

②俺は社員とその家族を預かる社長なんだ。
 その大切な社員と家族を「怒涛」に迷わせるような事はできないんだ!

 荒れ狂ってどうするの「路頭」に迷う だわ!!

なんて始末。

他にも

〇穿った見方 と言おうとした筈 ✕おだった見方
〇眼福    と言おうとした筈 ✕感服         
                      等々

この時は笑いを堪えるのに必死だった。

ただ、この時に思った事は

知ったかぶりは恥をかく。

常に勉強が必要だなと。

ある意味、反面教師になってくれたという事で感謝。

ただ私は今でも勉強不足が多々あり日々反省している。

こんな社長だったが、出張というと私を同行させるのだが

出張中は

「腹空いてないか?」

「これ奥さんに土産だ」

と優しく気遣いをしてくれた。

もう亡くなって10年程経つだろうか・・・。