今昔物語

9月に娘が女の子を出産した。

私達夫婦にとって初孫になる。

旦那さんの転勤で昨年関東に引っ越してしまった為  

駆けつける訳にはいかなかった。

しかし今は良い時代である。

スマホで写真が何枚も送られてきた。

可愛いものである。

妻は駆けつけてあげて産後のサポ-トをしてあげたい筈であるが

パ-トではあるが仕事をしている手前そうはいかなかった。

ただ予定日の3週間ほど後に飛行機チケットはとっていたので

妻と二人でその日を楽しみにしていた。

そんな楽しい事を考えながら私達夫婦の第一子(長男)の出産の事を思い出した。

8月中旬が予定日であった妻。

6月末で仕事をしていた。

元々少し豊満ではあったが7月に入り臨月が近づくと更に成長していった(笑)

そんな身重な身体で毎朝食事を用意して私を仕事へ送り出し

夕食を用意して帰宅を待ってくれていた妻でした。

感謝ですね。

そんな7月の末近くの朝

いつも通り朝食をとり妻に見送られて出勤。

もうすぐ勤務が終わるという頃に

「ゆうびさん 奥さんから電話ですよ」

という声。

電話にでると

「破水したみたいだから病院に行くから」

という事だった。

直ぐに上司に状況を説明をして退社。

勤務先から病院までは 1時間15分程。

電車で移動している私の頭の中は

「妻は大丈夫か ちゃんと病院へ行けたのか?病院へついたらなんて言う?
〇〇ですが妻は・・・?いや電話がきてから1時間ちょいしか経ってないからまだ産まれてないよな 分娩室の前で待ってるのか?」

なんて色々と考えなが病院へ到着。

自動ドアが開くと丁度一人の看護師(当時は看護婦)さんが私を見た。

私が

「ゆうびですが・・・」

というと

「あら~と言いながら私に近づいてきて 奥さん もう頭出かかっているのに両手に荷物持ってここまで来たのよ~ こちらへどうぞ~」

と案内された場所へ行くと、妻が私を見てVサイン。

私は妻の顔を見て安堵しましたが拍子抜けしました。

しかし産まれた子供をすぐに抱いた時は何とも言えない感動があったような気がする。

臨月近くまで販売の仕事をしていた事が安産につながったよう。

Vサインの妻に

「荷物なんて俺が後から持ってこれるのに何でわざわざ両手に下げてきた?」

と聞くと

「そうだよね~ 全然そんなことまで頭がまわらなかったわ~」

と笑っていた。

これが私の父親にになった時のちょっとしたスト-リ-なんですが

今は違う。

娘の旦那さんは出産予定日の近くから在宅ワーク。

娘の身体の状態を管理していた。

入院も旦那さんが連れていき

出産は立ち合いだった。

産後は産休を取得して一緒に子育てをしている。

昔と今は違うね~。

親としては安心ですがね。

この事を聞くと昔の男(私)は役に立ってないね~と つくづく思う。

娘の旦那は、色々勉強したようです 感服した!

でも昔の男も凄いぞ!!というところを見せてやる!!

見せてやれるものがあるかな・・・(笑)

学習能力

喫茶店で昼食を食べていると。

「また同じ事してるの~?学習能力ないな~」

と笑い声が聞こえてきた。

そこへ目を向けると

なんとも和やかな雰囲気で一人の若い男性が先輩らしき女性から

いじられているように見える微笑ましい光景だ。

決していじめではない。

その光景を眺めていると何とも癒されるような気分だった。

そうだよ 大人なんだから同じ過ちをしてはいけないんだよ。

と心の中でつぶやきながら

私も若い時は先輩社員から

「お前学習能力ないのか!!」

と怒られた事を思い出した。

今なら立派なパワハラですね。

今は一応管理職なのでそんな事を言われる訳にはいかない立場。

色々な事をぼんやり考えながら食事を終えた私は

胃薬を飲もうとポケットに手を入れた。

あれ?ない。

確かに入れた筈。

もう一度探すがない。

あ~。

ポケットには自宅の鍵も入れていた。

鍵を出し入れする時に一緒に出てしまう事があるから気を付けないと思ってはいた。

またやった~。

学習能力ないな。

これはさすがに微笑ましくもなく

ただただ呆れるばかりだった。

妻にこれを言うと 多分

またやったの~?

と笑われるであろう。

同じ笑われても いじられている訳ではない。

胃薬がもっと必要になるな・・・

死語の世界は楽しい

どこかで聞いた言葉です。

私と同年代の方は、おわかり頂けると思うのですが

往年の名優

(故人)丹波 哲郎さんの言葉です。

ただ 丹波さんは

「死  の世界は楽しい」ですけどね。

あたり前田のクラッカ-

社会人になってから何となくノリで言ってしまうようになりました。

「おやじギャグ~」

と周りから笑われていました。

特に女子からは・・・。

このおやじギャグ 私が産まれる前?もしくは幼少期のものなんです。

1962年に始まったコメディ番組で「俺がこんなに強いのも あたり前田のクラッカ-」と
俳優の故 藤田まことさん が言ったセリフなんです。

おやじギャグは死語?なのかな~。

まあ若い人は言わないか。

でも 死語は楽しい。

・いただきマンモス
・よっこいしょういち(大東亜戦争終結から28年目 アメリカ領グアム島で地元漁師に発見された残留                     
 日本兵 横井庄一さんを   よっこいしょの掛け声をもじった)
・バイなら(バイバイ さようなら)
・ドロンします(その場を離れる 帰る)
 ※これはポーズをとる人もいました
・バッチグ-(バッチリ+goo good)完璧
・許してちょんまげ(許して下さい)
・花金(週休二日制導入により金曜日が夜遅くまで楽しめるようになった)
・バタンキュー(疲れて倒れるように寝る)
・アジャパ-(あちゃ~ トホホ というように失敗?)
 ※伴 淳三郎さんが発した流行語(1951年)

まだまだあります・・・

この言葉 同い年の妻は当然のように理解します。

たまに二人で旅行へ出かける時の車内。

助手席から妻がなにやらお菓子を取り出して

「食べる?」

と聞いてきます。

そこで私は

「いただきマンモス」

なんて言って食べてます。

二人しかいない空間 いや二人きりの空間。

嫌でも妻は笑うしかありません。

何故か?

笑わないと次々におやじギャグを繰り出す私を知っているからです。

正確に言うと笑おうが笑うまいが次々と繰り出すのですがね。

でも 死語は楽しい!!

いや私の中では決して死語ではないですけどね。

言葉

私が小学1年生の頃(昭和46年)の事です。

あまり裕福ではなかった家庭で育った私は、月に1・2度買ってくれる

バニラカップアイスクリ-ムが大好きだった。

私はそのカップアイスクリ-ムを まずは半分を普通に食べる。

その後、残りの半分を木のスプ-ン(当時はヘラと呼んでいた)で混ぜる。

すると、今でいうシェ-クのようになる。

これが旨かった。

しかし、母親はそれを見ていて

「なに汚い食べ方しているの やだね~」

と言ってきた。

私は

「この食べ方が旨いんだ 一つのアイスで二度楽しめるんだ!!」

と豪語していた。

そんな私を母親は

「変な子だね~」

と首を傾げていた。

しか~しっ!!

正式にいつ発売になったのかは知らないが、私が子供の頃に楽しんでいた「シェイク」いや「シェイクもどき」は今商品として発売されているではないか。

当時母親の見解はそうだったのかもしれないが今はヒット商品だ。

私だけかな?こう思っているのは。

大人の常識で偏見を子供に言ってはいけない。

あの時

「あら~なにしてるの?美味しいの?お母さんにも一口頂戴」

とでも言ってくれたら子供(私)どんなに喜んだだろうと思う。

もしかしたら、この事がきっかけで食に対して様々な角度から研究をして

創作料理の有名料理人になっていたかも?しれない。

まあこれは冗談だが

子供デリケ-トである。

特に親は子供に発する言葉は慎重になった方が良い。

子育てをしている方は注意をした方が良いのではないかと思う。

因みに「シェク」は私の大好物!

冬でも「シェク」単品で買います。

休日 妻と出かけると妻が

「コーヒ-飲みたいね セブンかマック行かない?」

と言ってくる。

私は勿論「シェク」が飲みたいのでマックへ向かう。

マックへ行くと妻も「シェク」を頼んでいる。

コーヒは買わずに。

「コーヒ-とシェク両方買うのは贅沢だからね~」

という妻。

そんな妻に私は

「シェクは太るからコーヒ-の方が良かったんじゃない?」

と言うと間髪入れずに

「いいの!!」

とふくれていた。

少しの愛、車中の狭いスペ-スの空気が悪くなった・・・。

妻はデリケ-トである。

特に旦那は妻に発する言葉は慎重になった方が良い・・・(笑)

雨の記念日

5月に結婚35年を迎えた。

つきあっている期間をいれると約40年になる。

妻は娘に

「お父さんは、お母さんがお願いした事は、かなりの確率で忘れているのに髪型・服・化粧が変わると直ぐに気付くんだよね~」

と言っていたらしい。

髪型・化粧が変わったらわかるよ俺は 毎日見てるから違いには気づくよね。

服だって同じ。

でも、内緒で買ったら駄目だとは一度も言った事はないし

「買って良い?」と聞かれて駄目だと言った事は無い・・・と思う。

家庭のやりくりは妻に任せているので

「欲しかったら買えば良い 普通に生活ができるな良いよ!」

と言っている。

こう言うと凄く裕福な家庭に聞こえるかもしれないが、そんな事はない。

私は普通のサラリ-マン、妻もパートで生活を支えてくれている。

ただ二人の子供は社会人なので、これからは孫になにかしてあげるか(まだいませんが9月に誕生する予定)老後の生活の為に働いているというところかな。

子供たちが社会人になるまでは、それなりにお金がかかった。

いくら社会人になったからといって全くかからなくなった訳ではないが今は違う。

パ-トで自分が稼いだお金で服を買ったっても何の問題もない。

私はそれで良いと思っている。

休日に出かけると、靴・服・鞄のショップで足をとめる妻。

少しの時間眺めて

「行こう!!」

という。

プライスを見るとセールなのか少額 2・3千円。

「欲しいの?こんなに安いのだから買えば?」

と言っても

「いや いい」

と言って歩いて行く。

でも戻って

「良いの?」と聞いてくる。

こんな事が何度あっただろう。

私は今でも妻を一人の女性として見ている。

妻を引き立たせる?いや表現が間違っているな。

可愛く?これも違うか。

素敵に?これも違うような気がするが(笑)

要は自分の妻が いつまでもそれなりに 可愛く?いてくれるのは悪い気はしないし

いつまでも女性を忘れずにいて欲しいと思っているので、それなりに着飾るのは悪い気はしない。

んっ?なにか言っている事がおかしいな(笑)

こんな私だが家庭内のイベント事は意外にも忘れない。

結婚記念日には必ずケーキを買って帰った(買わない事もあったかな・・・)

35年目には・・・と決めている事があった。

私は半年前から準備を始めた。

私たちが結婚式を挙げた(正式には披露宴ですかね)ホテルを予約。

準備したのはこれだけだが・・・。

妻には

「〇月〇日(結婚記念日)は外で御飯食べてホテルに泊まろう!」

とだけ言っておいた。

そして当日。

私はいつになく定時に仕事を切り上げ帰宅。

キャリ-ケースを車に積込出発。

到着したホテルを見た妻は

「わ~結婚式を挙げたホテルだ~」

と満面の笑みだ。

「成功だ 私の計画は・・・」と私は得意満面になっていたのを妻は気づいただろうか。

フロントでチェックインの手続きをすると

「〇〇様 本日広めのツインをご用意させて頂いておりますので ごゆっくりおくつろぎ下さい」

という言葉と笑顔で私達を迎えてくれた。

実は私、予約する時に宿泊日が結婚記念日である事を伝えていた事もあり

ホテル側が粋な計らいをしてくれたようだ。

部屋に荷物を置いてから予約した店に行くためにホテルを出た。

外は雨。

天候も私達を祝福してくれているようだ。

何故かというと35年前の結婚式を挙げた日は土砂降りの雨だった。

「土砂降りではないが 同じだ!!」

私達には当時の事を思い出させてくれる最高のプレゼントだった。

相合傘で15分程歩き店へ到着。

この予約した店 実は私が予約した訳ではない。

勤務先の社長と飲んでいる時に「結婚35年で・・・」と話しをすると

ある店を予約してくれたのだ。

その店で食事をしながら35年前の結婚式の事、子供たちの事等の昔話をしながら

2時間ほど過ぎた。

お腹も満たされたし、ほろ酔いになったところで

「そろそろ帰るか」と妻の顔を見ながら

「いくらですか?」

というと

笑顔で

「少しお待ちください」

と 待つこと2分程。

「実はお代は頂いております 社長から」

ここで妻 感激。

私 恐縮。

なんとまあ記憶に残る記念日になった。

基本 亭主関白な私。

よく35年も一緒にいてくれたものだと感謝している。

来年はどうしようかな・・・。

今日この頃・・・

私は若い頃から並んで待つことは大っ嫌い!!

どんなに美味しいと評判の店でも絶対に並ぶ事などありませんでした。

付き合いをいれると約40年の妻も同じだと思っていたのですが、子供たちが成人を過ぎた

結婚 21・2年頃に気がついた。

人気のスイ-ツ店に行ってみたいらしく、雑誌にポストイット(ついこの間まで付箋と言っていた(笑))

がついているんです。

〇〇ケーキ・スープカレ-〇〇等々。

調べてみると、どれも行列ができるお店。

子育ても終わって自分の時間が少しできたんだよな~と少し考えて、いや かなり考えてから

意を決して妻に

「今度の休みポストイットつけている店へ行こうか?」

と言ってみた。

「行列で凄い並ぶらしいから良いよ~」と低めのテンション

その言葉でホットしている私

しかし少し経ってから小声で

「でも食べてみたい 良いの?」

と上目遣い。

上目遣いで女性から見つめられると普通は「おっ!可愛い♡」なんて感じでドキッ!!とするものだが

この時の私は「おっ!?行くのか!?」というドキッ!

まあでも、上目遣いが可愛かったかは別にしても

「良いよ ポストイットつけてある店 順番に行こう」

と良い夫を演じてしまった。

事前に調べた情報通り、どこの店へ行っても行列ができていた。

でも入店して、食べてみると美味しい!

妻を見ると嬉しそうに食べている。

この笑顔を見られるという事は幸せという事なんだと感じた時間だった。

ただこんな日ばかりではなく、小さな事で怒ったりしている事がある私。

良き夫にはなれない自分を反省している今日この頃・・・

来ないで!!

決した妻に嫌われている訳ではありません。

ある日、もうすぐ2歳になる息子が

居間から寝室へ走っていった。

なんだろうと思い覗きに行くと

「来ないで!!」

と息子が真剣な顔。

いったい何があったのだと驚いていると

居間から

「こっちに来て」

と笑いながら妻の声。

「ウンチがしたくなると、こうなのよ。こっそり覗いていると ウ~んっ!!って
いきんでるのよね~(笑)」

へ~ こんな子供でも いきんでいる姿は恥ずかしいから見せたくないのか?

と妻と笑っていたのだが。

この行動ができるのなら

「ウンチしたい っと言ってくれればトイレを教えられるのにな~」

と笑っていた事を想い出した。

もう32年も前の事になる・・・。

血の繋がった親子

3ヶ月に1~2回 母親の病院。

2週間毎に父親の病院。

こんな感じで両親を病院へ連れて行っている。

母親は10年以上前に患った「くも膜下出血」と、昨年発症した「特発性間質性肺炎」の経過観察の為の通院。

父親は多分「後鼻漏」で耳鼻科に通院。

この多分というのは

私の父親というのは、会話が成立しないのでハッキリわからない。

父親は質問してきた事に私が答えると

「そうだ そうなんだ」と

さも知っているように返事をする。

知らないから質問してきたんだろう!!

と私は思っているが何も言わない。

そうかと思えば質問してきた事に答えていると

途中で被せるように話しをしてくるので会話にならない。

以上の事は今に始まった事ではない。

私がまだ若い時は腹が立ったので

「黙って聞け!!あんたが聞いてきたんだろう!!知ったかぶりするな!!」と

まくし立てたものだが今はしない。

そんな事を言っても理解できる人ではない事を私は知っているからだ。

今は、もめ事が良い結果を生む事はないだろうと思っている。

もめごと、怒る事で認知症が進む事もあるのではないかと思っている。

認知症と言っているが、病院で診断を受けたわけではない。

ただ、毎日会話をしていると、それらしい兆候が垣間見えてきたような気がする。

父親を車に乗せると、毎回同じ話しをしている。

それも何度も。

こちらから聞きもしないのに、病院の待ち時間、院長、看護師等の事を説明する。

帰路の車中(1時間程度)で4~5回程。

母親が一緒に乗っている時は

「あんたうるさいって!さっきも聞いた!誰もそんな事聞いてない!」

なんて怒る。

そんな母親も似たような事がある(笑)

昔 TVを見て話しかける人は認知症になる可能性がある。

と聞いた事がある。

話しかけても応答がないものだからだそうだ。

父親はドンピシャである。

大声で話しかけて大声で笑っている。

父親一人の時に。

母親の診察には私も同席する。

脳外科の医師は、ほぼ私をみて話しをする。

「どうですか?変わりないですか?」

呼吸器の医師は、最初は母親に聞くが私にも確認をする。

診察が終わった母は

「お前が一緒にきてくれるから良いわ~ 私は何も言わなくて良い気がする」

と笑っている。

「身体の状態は本人じゃないとわからないから何かあったら言わないと駄目だよ」

と私は言うのだが

「いやあ~ 変わった事言ったら又入院しなさいと言われた嫌だから何も言わない!」

と言う。

これはこれで困ったものだ。

これは私の仕事だ いや 役目だ。

この状況を妻に話して笑ったり、怒ったりしている。

私は父親に似ていなくて良かったと思っているし、周囲からも言われた事がない。

しかしある時妻が

「少しだけど似ているところもあるよ」

と言った。

血が繋がっているからな・・・と思ったが

少しショックだった。

まあ仕方がないな

血が繋がっているからな。

子供かっ!!の結末

雪で濡れた手をフリ-スで拭いた私。

この話を妻に笑いながら話した。

「へ~ 貴方はそういうところもあるし潔癖そうに見えるところもある不思議なところがあるよね~」

と言った。

私は

「そうか~?」

と笑っていると

「独身の時にはハンカチや翌日に忘れてはならないものはデーブルに用意していたよね
今ハンカチは私が用意してあげてるけどね」

「それと、忘れたときの為に鞄にハンカチの予備も入れてるよね」

「スーツだって・・・」

とまだ言いたい事がありそうな妻を制止して

「人間 完璧?じゃないから良いんじゃないか~」

と冗談っぽく返した。

妻は

「あなたの事をそんなふうに思った事ことないわよ~(笑)」

とあきれ顔だった。

今年結婚35年目。

恋愛・新婚時代は良くても、いや我慢できても

長年連れ添っていると、現実を冷静にジャッジされるんですよね。

「あなたには疲れました・・・」

と言われる日が来ないようにしないとな(-_-;)

子供かっ!!

雪の降る街は寒い。

しばれる!!

昨晩から少し雪が降っていたので翌日は積もっているのだろうと思いながら就寝。

するとその事が気になったのか深夜1時30分頃に目が覚めてしまった。

目覚ましは3時にセットしてたのに。

二度寝しようと思っても寝付けないので外へ出て雪かきを始めた。

それ程多く積もっていなかったので1時間30分位で終わった。

時計を見ると4時少し前。

この分だと会社も積雪があり除雪をしないとならないだろうからと思いシャワ-を浴びて

4時30分頃家に家を出た。

コンビニへより温かいコーヒ-と胡麻麦茶を買い(ちょっと血圧が気になりだしたもので(-_-;))

会社へと向かった。

途中、車のリアワイパ-のスイッチを入れたのだが動かない。

あ~ ワイパ-周りに雪が残っていて動かないんだ~

と思った私は直ぐに車を止めて雪を取り除きワイパ-を動かす事に成功した。

よしっ!と車に乗り込みハンドルを握ろうとすると、手が濡れている。

当たり前だ雪を触ったのだから。

その時、私が咄嗟にとった行動は

着ていたフリ-スで手を拭いたのです。

手を拭きながら私は一人車の中で

「子供かっ!!」

笑いながら叫び、まだ日が昇らない街を走り出した。

現在 59歳 妻一人 30を過ぎた子供が二人。

こんな大人が・・・。

しかし、こんな事を思いながら童心に帰ったような楽しい時間だった。

でもね会社に着いてから思ったのです。

ズボンの後ろのポケットにはハンカチも入ってるし、車にはタオルも常備してるのにな~。

だから男はいつまでも子供だって言われるんだな(笑)

誤解されては困りますが、世の男性が皆そうではありませんので・・・。